西さんの日記

2001年

2001年10月の日記
2001年10月2日(火)
すっかり秋を思わせるべく涼しくなってきました。
これからは、紅葉の綺麗になる季節です。
あちら此方の山から秋の便りが聞こえてくる事でしょう。
今月は、何処へ行けるでしょうね?
 
2001年9月の日記
2001年9月27日(木)
今日は、「浦和南山の会」の9月例会があった。私も夫婦共々参加し、メイン山行の反省や先日のリベンジ山行の話や、秋山行を楽しく話し合い時間の過ぎるのも忘れていた。
しかし、参加者が5人と少なく坪山先生が欠席で寂しかった。
潔さんの話では、「ミリオン山の会」メイン山行への謀反が思わぬ展開を示し、苦慮しているらしい。
2001年9月24日(月)
昨夜の隣人は、良い人達で快適な睡眠が摂れた。此が当たり前なのに・・・。
昨日は、大渋滞で槍にのぼれず、翌朝朝食後の空いた時を見計らって無事登頂を果たしました。
飛騨乗越〜槍平は、快適な下りでした。もう、そこ迄秋が訪れているのをヒシヒシと感じさせてくれました。
槍平の手前でジャンダルムや涸沢岳がよく見える場所があり快晴の中、とっても得した気分でした。
下りの槍平〜新穂高温泉は、筋肉痛の身体にクールダウンの効果があったようです。
帰りの高速は、3連休の最終日で渋滞でした。
22時に無事到着。
写真を編集していると、山行時の緊張が蘇ってきました。
2001年9月23日(日)
昨夜、隣り合わせた人がどう仕様もない中年親父で、「朝、決着付けようぜ!」と、云っていたのに私達が起き上がってもグーグー寝ていた。なんだか拍子抜けするが、面倒な事にならずに済みホッとして朝食を摂り準備した。
予定の5時には出発し、昨日の様な氷結を心配したが今日は、大丈夫だった。昨日よりも良い天気で遠くの山までクッキリと展望出来た。終始、富士山が間近に見られた。
北穂小屋で休憩していると、大キレットで滑落した人の救助ヘリが4往復程目の前を飛んでいった。
「これから行くのに・・」と、想いながら気を引き締めて下っていった。相当いやらしい下りだった。
もろい岩肌のザレ場で何時落石があっても不思議じゃないような所だらけで、非常に緊張した。
A沢のコルで小休止していると、大キレット方向の上部から「ラクッー!」と、叫び声と共に20〜30cm程の岩がゴロン・ゴロンと転がってきた時は、本当にビックリしました。
長谷川ピーク手前で、ダンプさん事高橋和之さんのパーティと交差し、思わず握手して頂いた。
獅子岩直下の最後の難所も何とかクリアーしホッとし、南岳山荘では、ユックリと休養出来た。
槍までは、まだまだなので気を取り直し出発した。
2001年9月22日(土)
4時に起床し、本館談話室で朝食を摂り、予定通り5時に出発する。
西穂山頂までは、積雪期に1度登っているので余裕と思っていたら、昨日夜まで降っていた雨が朝の冷え込みで氷結し、あらゆる岩にベットリまとわりついていて、ツルツル滑り往生してしまった。
何とか西穂山頂に到着した頃は、上天気によって氷結も溶け出した。
西穂から先は、初めてのルートで難所が続くルート、気を引き締めて進む。
連続する難所に緊張の連続で奥穂高岳に到着した時は、「ホッ」としました。
奥穂山頂にいた老若男女の人が、ジャンダルムを見て一喜一憂している事や、私たちがジャンダルムに登っていた事を見ていた人達が驚いていたりして、ちょっぴり優越感に浸りました。
しかし、やっぱり大変なルートでした。心身共にぼろぼろの状態でした。
2001年9月21日(金)
朝7時出発のつもりが、8時前に出発する。
新穂高温泉まで行き、ロープウェイで西穂山荘を目指す。
西穂山荘には、4月の積雪期に1度来ている。
ロープウェイを降りてから1時間弱の登りで休憩なしで余裕で到着。
結構空いていて、快適だった。
翌朝は、5時出発予定なので早めに就寝した。
2001年9月20日(木)
ミリオン山の会 メイン山行「徳本峠〜常念山脈縦走」
新宿発23:00〜上高地行き高速バス

仕事により断念。

本体とは別に翌日、新穂高温泉〜西穂山荘を目指す。
2001年9月18日(火)
ミリオン山の会のメイン山行「徳本峠〜常念山脈縦走」は、参加できなくなる。出発日20日(木)は、深夜発が無理な状況である。
翌21日(金)朝に、自家用車で川越を出発し、新穂高温泉から西穂山荘を目指す事にする。