西さんの日記

2002年

2002年12月の日記
2002年12月31日(火)
アッと云う間に大晦日。
やり残した事が沢山あります。
@HPの編集
A自宅サーバー公開
B北鎌尾根
C北方稜線
新たな年に再挑戦です!

皆さんの応援有り難うございました。
新年も宜しく応援ください。

良い年をお迎えください。
2002年12月24日(火)
今年も残り僅か・・・。
真面目に日記を付けませんでした(反省)。
この反省は、新年に生かされるのか?

2002年11月の日記
2002年11月30日(土)
11月も今日で終わり。
今年中には何とかサーバーを公開したい。
2002年11月25日(月)
土日の2日間myhomeサーバーの設定に明け暮れましたが、進展無し・・・。
よくわからん!
2002年11月19日(火)
ブロードバンドルーターを購入し、一部サーバーを立ち上げようと考えています。
随時書き込みしていきます。

2002年10月の日記
2002年10月31日(木)
10月も今日で終わり。
明日は11月です。
今年も残り2ヶ月なんて・・・。
2002年10月21日(月)
19日から長男と共に郷里に帰省しておりました。
今回は、私の従兄弟の結婚式に○○家の家長として、長男共々出席する為のものでした。
実家には、我が父が健在ですが、不肖な私は、都会で仕事をしております。郷里は、親任せです。
父母は、孫にあたる長男を一生懸命に口説いておりました。帰ってきて一緒に暮らそうと。
今回息子には、郷里の親族に存在をアピールし、お嫁さん候補を紹介頂こうとの思惑もありました。
でも、そんな想いで意気込んで行って来ましたが、帰路に胸をよぎるのは「やっぱり、縁なんだなぁ〜」としきり。
如何相成ります事やら、結果良ければ全て良しとして、長い目で事に当たるべきと思った次第です。
2002年10月11日(金)
早11日、明日から3連休。天気予報は、絶好の秋晴れ予想。でも山行予定無し。(トホホ)
この3連休は、遊びすぎ?のツケが回って来て、溜まったHP編集や次回イベントの準備に費やす予定。
皆さん楽しみに待っててね!

2002年9月の日記
2002年9月30日(月)
9月も今日で終わり。今年も3/4が終わってしまう。
9月は、例年イベントが盛り沢山で気を抜く暇がない。
今年も同様。しかし、”ピーンチ”から1ヶ月。山行は減ってしまい、少々ノンビリの日々だった。さて、残り四半期。どうなりますか?
2002年9月2日(月)
いよいよ9月に突入です。
残すところ4ヶ月。 今年の課題の北鎌尾根、北方主綾はどうなるんでしょう?
U山の会のメイン山行にも欠席している我々に明日はあるのか??

2002年8月の日記
2002年8月25日(日)
今日、事件勃発。
急遽、U山の会メイン山行を欠席になりました。
残念。
2002年8月22日(木)
「U山の会」に出席する。なんだかんだと今週は、3連チャンである。ふー。
2002年8月21日(水)
「氷壁」を読み終える。
2度目であったが、以前より楽しめて読めた気がする。
大筋を覚えている事と、出てくる場面が理解しやすいためのようだ。かおるの健気さが私には好感が持てた。
2002年8月20日(火)
「M山の会」の始まる前、八重洲ブックセンターに寄ってセッちゃんに頼まれた本などを購入した。
@「アコンカグア山頂の嵐」チボル・セケリ著、栗栖継・茜共訳、1999/07 \860 筑摩書房
A「遙かなり神々の座」谷甲州著、1995年発行、文庫464頁、本体価格(税別)\680、早川書房
B「白き嶺の男」谷甲州著、
タニ コウシュウ
4-6 240頁 本体価格(税別) \1,359、1995年発行、
集英社
をまとめ買いしてしまった。
2002年8月19日(月)
「神々の山嶺(イタダキ)」のコミック版3冊を購入する。
早速、帰りの電車の中で読み始める。「氷壁」は、後少しだが後回しになってしまった。
2002年8月6日(火)
今日から「氷壁」を読み出した。 この本は、2度目であるが、前回は、舞台の奥穂高周辺に疎い時に読んだもので、今、読み返してみる事に興味があった。
楽しみにしていた1冊である。
2002年8月5日(月)
今日、「七つの最高峰」ディック・バス/フランク・ウェルズ・共著、三浦 恵美里・訳、文藝春秋・出版を読み終えた。四六判の544ページという長編であったが、とても興味深く楽しく読む事が出来た。
(発行年月:1995年、ISBN:4-16-315740-9、本体価格(税別) \2,524)
二人の実業家が、50歳を越えてから挑んだ7大陸最高峰は、並々ならぬ努力と経済的な負担を強いたが、最後は成功する。 中でも南極大陸のビンソンマシフとエベレストがもっとも困難だった。
2002年8月2日(金)
今日、openページのスナップを”クロユリ”に変更しました。
裏銀座縦走時の三俣蓮華〜双六に至る稜線で群生していました。
手抜きせずに接写モードで撮影したので我ながら綺麗に撮れたと自画自賛しています。

2002年7月の日記
2002年7月29日(月)
今月も残すところ僅かとなりました。
山行のHP・UPが捗らず、何とかせねばと思いつつ、色んな行事が有る為、儘成らず・・・。
気長にコツコツとやるしかないですね。
2002年7月15日(月)
松本サリン事件の冤罪を被った河野義行さんが長野県公安委員に任命された記事が出ていた。未だ意識が戻らない奥様を毎日施設に通うらしい。義行さんの顔を見ると公子さんは、表情が安らぐらしい。
俗な言い方で差し障りが有るかも知れませんが、いわゆる植物人間の方々は、本当に意識がないのだろうか?
脳波を調べる。脳波が正常でない。専門的な事は解らない。
けれど、意識を伝えられない、見つけられないだけではないのかと、フト考えさせられた。
2002年7月3日(水)
今日から「70歳、現役。山歩きリーダー」喜多亨著を読み始める。若い頃は、低所得で休暇も取れず余裕がないために十分な山行が出来なかったらしい。46歳頃転職し、所得・休暇と余裕が出来て岩登りを始める様になったそうです。今後の展開(本の内容)が、楽しみです。
2002年7月2日(火)
読んでいた「アルプスの谷 アルプスの村」新田次郎著を朝の電車で読み終えました。この本は、新田次郎氏が自分でアルプスを訪ねた際の紀行文であり、興味深く読めた。
他の小説本にはない、氏の心の内など過去の山岳小説への反省などが窺い知れて読んでいて楽しかった。

2002年6月の日記
2002年6月22日(土)
今日は、スポーツクラブのメンバーが「尾瀬山行」に1泊2日で出掛けていて、無事帰還後の夕刻居酒屋に参集しました。我々は、長年憧れた「北岳」に無事登頂しての帰還であった。行き先は違っても、汗をかき天候に一喜一憂しながらの山行をお互いに語るのは、時間の経つのを忘れてしまいます。
2002年6月20日(木)
今日、「マロリーは二度死んだ」メスナー著を読み終えました。この本は、エベレストに消えたマロリーが初登頂者では無いかとの疑問に、あり得ないだろうとメスナーが推理している内容です。前書きとプロローグや後書きは、メスナーの言葉で語られていますが、本文の構成は、マロリーが死後、それまでのエベレストへの3度の挑戦内容や死後の世界の展開にコメントする捜索があり興味深い。しかし、訳本の限界の様なものを又しても感じる事となり、少々疲れてしまった。
2002年6月18日(火)
Wcup日本、敗退。
む、む、む。残念。
韓国の試合、1点リードされていた時は、頑張れと思っていたが、トッツィーの退場は、無いんじゃないの・・。
韓国同点、その前にイタリアの反則。ハンドしていた。
誰も触れない・・・。あそこでPKだったら、キーパーは止めていたかもしれない。
サポーターのイタリア側へのブーイングにも少々、節操がないようで不快感を感じた。
ゴールデン・ゴールの追加点は、文句なしの鮮やかなヘッディング・シュート!
何はともあれ韓国おめでとう!日本の分まで頑張ってくれ!
2002年6月17日(月)
今日、午後3時前会社の前で人集りが出来ていた。
暫く様子を伺っていると、荒木経惟氏の撮影隊だった。
モデルは、180cm有るようなスレンダーな外人モデルで、シースルーな衣装に下着のない上半身は、見るものを魅了していた。荒木氏のNHK「ようこそ先輩」を見ていた私は、シリーズ「顔」かな?と思っていたが、ひょんな処で遭遇してしまいその作品が世に出るのが待ち遠しくなった。新宿の歌舞伎町界隈は、色んな事が起こる場所です。
お詫び:文中「NHK」と有る処、謝って「HNK」と表記していた事が有りました。訂正し、お詫び致します。ご免なさい。
2002年6月16日(日)
今日は、自治会のスポーツクラブの日帰り旅行だった。
会長の進兄ィにはすっかり世話になった。貸し切りバスでゆったりと朝から酒浸りの殿様気分。天気も崩れずサクランボを貪り、満喫した1日だった。
2002年6月11日(火)
今日からメスナー著書第2弾「マロリーは二度死んだ」山と渓谷社刊を読み始めた。1924年にエヴェレスト山頂近くで消息を絶っていた。1999年に調査隊が遠征し発見される。謎に包まれた「マロリーは初登頂者なのか?」に対してメスナーの考えが描かれている。同じ、謎を題材の一部にしている著書に「神々の山嶺」夢枕獏著がある。

ミリオン山の会の例会で善樹さんから貸していた「銀嶺の人」新田次郎著を返してもらった。善樹さんは「読んで面白かった。良かった。」と、言っていました。
私は、すかさず「新田次郎の山岳3部作を読んで!」と、奨めておきました。@「孤高の人」A「栄光の岩壁」B「銀嶺の人」の3部作です。それぞれ、本人の著書もあるので併せて紹介した。@「単独行」A「山靴の音」B「私の北壁 上・下」です。
2002年6月10日(月)
今日、「K2」を読み終えましたが、やっと読み終えたというのが実感です。余り面白くありませんでした。翻訳本の限界のようなものを感じました。難しい事だと思いますが、やっぱり直接響いてくる感じがありませんでした。
2002年6月5日(水)
今日から「K2 七人の闘い」メスナー著、尾崎ル治訳を読み始めました。著者の思いがストレートに響いてきません。翻訳の限界なのでしょうか?
2002年6月4日(火)
今日、「グランドジョラス北壁」を読み終えました。厳しい冬期北壁登攀で凍傷の指を無くしたのは、壮絶でした。

2002年5月の日記
2002年5月31日(金)
今日から小西政継著の「グランドジョラス北壁」中公文庫を読み始める。先に読んだ著者の「凍てる岩肌に魅せられて」「マッターホルン北壁」「山は晴天」と共に読みたかった著書である。先日、本屋で思いがけず発見し、楽しみにしていた1冊です。
2002年5月30日(木)
今日、帰りの電車の中で「生還 山岳遭難からの救出」羽根田治著、山と渓谷社刊を読み終えた。
その一節から、(P79〜北アルプス/西穂高岳、「フラッシュが救った命」より、1992年1月3日事故発生)

−−山本が考える山登りのおもしろさとは、やはり”厳しさ”である。「危ないところに魅力があるというのは確かだと思います。だから僕が感じるのは、山のリスクを超えていくおもしろさといったところですかね」
 今、事故を振り返ってみると、経験的にもまだまだ未熟であったという気がしてならないと、山本は言う。「未熟であった」と言うならば、確かに、安全だと思われた場所で一瞬、気を抜いたことが事故の原因となっている。
 が、その油断は「木内についていけば間違いない」という依存心から生じたものではないのだろうか。
 事故の後、山本が自分に言い聞かせるようになったのは「相手任せの山登りはしない」ということだ。
 「よくあるのが、誰かに連れていかれるというパターン。そういう時には、意識しないうちに安易な方に流されてしまうことがよくありますよね。誘う方は『どうってことないから』って気軽に言うけど、行ってみると『アッ』と感じたり。岩登りでもそうですよね、『大丈夫だよ、山本さんなら登れるよ』と言われて取り付いてみたら登れな
かったり。結局、相手任せにしてしまっているんですね。自分で登れるのか登れないのかの判断がつかない。そういうことに注意していなければならないと思うんです。」 

呉々も人任せにせず、自分の山行を楽しむ様に心掛けましょう!
2002年5月28日(火)
今日から「生還」羽根田治著を読み始める。
昨夜読み終えた篠原秋彦氏の事を著した本の著者と同じです。内容も遭難救助と生還者のインタビューを元に綴られています。最近、遭難についての本を良く読むが、気をつけているにも拘わらず、起こってしまう遭難を扱っているため、良い勉強になりそうだ。
2002年5月27日(月)
今日は、朝から肩、腕、腰と筋肉痛です。
昨日のインディアカで”日頃使っていない筋肉?”を酷使した為でしょう! 最近、山ばかりで週一の練習も休んでいました。 やっぱり、練習は欠かさずに試合に臨むべきですね。
2002年5月26日(日)
今日は、久し振りにインディアカの試合でした。
隣クラブの川越インディーズ主催の「近隣クラブ親善大会」への参加でした。参加チームが少ないと”一般混合”で出場しましたが、ドッと疲れました。終了時は、肩や腕、腰の筋肉が張ってきていました。夜の定例練習にも行きましたが、最初のストレッチ体操では、早くも肩や腰に痛みが出ていました。練習内容は、疲れていてサッパリでした。(フッー・・・)
2002年5月22日(水)
今日から「空飛ぶ山岳警備隊」羽根田治著を読み始める。
この本は、今年の1月6日遭難救助中にヘリコプターから滑落し、直ぐに発見されず亡くなった篠原秋彦さんの半世紀を綴ったものです。自分に厳しく、山小屋相手に始めた荷揚げからレスキューに至る内容が綴られています。
2002年5月21日(火)
漸く、彼ら「挑戦者」新進クライマー列伝を朝の電車の中で読み終えた。25名の若い脂の乗ったクライマーは、驚異的と写る。世の中には、超人は居るんですね。
2002年5月16日(木)
最近、少々飲み会が多くて疲れ気味です。
睡眠不足も辛いです。
2002年5月15日(水)
夕方17:30頃から、メールが復活してきました。
でも、従来の「I.Nishihiro.10@」が使用できず、完全復活では有りません。明日の朝、状況に変化がない場合は、問い合わせしてみようと思っています。
2002年5月14日(火)
今日は、ミリオン山の会の例会がありました。
善樹&裕美夫妻も多彩な山行に明け暮れていた様です。
2002年5月13日(月)
今日から、メールが不調になっています。
I.Nishihiro.10@e7.mnx.ne.jp宛のメールが受信できません。問い合わせ中ですが、暫く時間が掛かりそうです。
当分は、nishihiro@ubcnet.or.jpへお願いします。
2002年5月12日(日)
読書:彼ら「挑戦者」新進クライマー列伝
大蔵喜福著、東京新聞出版局
総勢25名について語っている。内女性は、3人登場しています。著者も相当なクライマーです。
2002年5月11日(土)
今日、山野井泰史氏の「ソロ」を読み終えた。壮絶な内容だった。とても届かぬものと認識した。
それにしても、こういう超人がいるんですね。
2002年5月6日(月)
昨日までの山行で使った道具一式を朝から片付けに明け暮れました。全身の筋肉痛に鞭打つように漸く夕方片付きました。でも、天気が良かったので日向に干して良く乾いたようです。(良かった、良かった!)
合間で、山行写真も編集できて久方振りの充実した1日を過ごせた気がします。
夜、寝る前に「単独登攀者 山野井泰史 ソロ」丸山直樹著を読み始める。この本は、名前だけは見て知っていた積もりだが、読んでみると想像を絶するクライマーの姿にビックリしています。ドンドン過酷な状況を求められるクライマーに触れるようで、考えさせられます。
2002年5月3日(金)
昨日は、早めに出発するつもりが23時30分になってしまった。川越ICに入ると渋滞だった。本来3時間も有れば到着するはずが、朝3時30分頃到着し、寝る間がなかった。どうなる事やら。
2002年5月2日(木)
今日、朝の電車の中で「垂直の星」を読み終えました。
いつもなら次に読む本も持参するのですが、今夜から山に行くので決めかねていた為、持参しなかった。
吉尾弘氏は、労山のトップとしてリーダーシップを生涯貫いた人で、小西政継氏と同じように大変興味深く好きな先達の一人です。

2002年4月の日記
2002年4月22日(月)
今日、漸く「小西さんちの家族登山」小西郁子著を読み終えました。小西政継氏の最も近くに居た奥さんが描くものです。家族への優しさや子育ての事などとても興味深く読ませてもらった。この本を読むと先に読んだ「激しすぎる夢」長尾三郎著は、この本の引用が数多くあった。長尾氏が、郁子夫人から聞いて編集したものなのか定かでないが、「激しすぎる夢」の内容は、小西政継氏本人の著書からの引用も多数あり、読むのに苦痛を感じる事もあった。
その点、郁子夫人の著書は、身近な方故の新鮮さに満ち溢れていて読むのが楽しかった。
さて、次は「垂直の星−吉尾弘遺稿集」吉尾弘著、日本勤労者山岳連盟/編を読み始める。節操が無いようだが、何か読んでいないと落ち着かないというのが素直な心境です。
2002年4月17日(水)
「激しすぎる夢」を漸く読み終える事が出来た。途中、二日前に読んだ小西郁子さんの著書とタブル内容が数多く、何となく白けてしまった感が否めなかった。長尾氏の本書は、小西政継氏の著書からの引用も数多く、記憶力の悪い私でも初めて読むものとは思えず、再読しているような錯覚を感じていた。
2002年4月15日(月)
「激しすぎる夢」を読み終える前に間違って持参した「小西さんちの家族登山」小西郁子著を行き帰りの電車で読んだ。なんと、「激しすぎる夢」の記述内容と郁子夫人の著書とは、全く同じ記述があり何だが白けてしまった。
どちらかというと、郁子夫人の著書が面白そうだ。
2002年4月8日(月)
今日から「激しすぎる夢」長尾三郎著(「鉄の男」と呼ばれた登山家”小西政継”の生涯)を読み始める。
小西政継氏の著書は、3冊程読んだが第3者の目で捉えた小西像を楽しみにしている。
2002年4月7日(日)
夜、寝る前に「いまだ下山せず」を読み終えた。前回読んだ「リーダーは何をしていたか?」に続く遭難を扱った書物であり、興味深く読ませてもらった。
5月連休は、燕岳方面に行こうとの計画も浮上しており、積雪期の表銀座コースや、常念岳は大変参考になった。
2002年4月6日(土)
今日は、自治会のインディアカ仲間と奥多摩の高水三山に行って来ました。心配していた天気も晴れて良かったです。リーダーは、いつもの進兄ィにお願いしました。
進兄ィの丸山山行コメントを今日貰いました。
明日の日曜日にHPへアップする予定です。
お楽しみに!
2002年4月2日(火)
帰りの電車で「リーダーは何をしていたか?」を読み終えた。遭難を扱った読み物で、リーダーとしての責任や心構え等々を興味深く読む事が出来た。
裁判にまでなった事例は、高校生の山岳部や一般ハイキングツアー等での遭難事故であるが、引率の先生やツアーガイドの対応にメスを入れる内容のものです。私達の様な大人の?同人同志のパーティでは、問題ない?との認識が有るようですが、素人相手のリーダーの役割は、責任重大であるはずです。
帰宅後、寝る前に「いまだ下山せず」泉康子著を読み始めました。これも遭難を扱うものですが、此方は大人の山岳会が起こるはずのない遭難が生じ、捜索を行う上で足取りを追っていく経過などが同じ仲間が描いたものです。
前者の遭難とは、異なる視点での書物で楽しみです。

2002年3月の日記
2002年3月26日(火)
今日漸く「クライマー 登山界の寵児・吉尾弘と若き獅子たちの闘い」高野亮著を読み終えました。先に読んだ「垂直に挑む」や同時代のクライマーの著書などとダブった内容でしたが、労山に関わってから身近にいた著者?の触れるエピソードは、他にない面白さが有りました。
改めて谷川岳の遭難事故が偲ばれました。
今度読み始めたのは、「リーダーは何をしていたか」本多勝一著です。ピックアップした遭難事故を「無免許運転の交通事故」と称し、新聞記者として原因分析し、世に一石を投じた内容を纏めたものです。
楽しい筈の山行パーティが、悲劇とならない為のリーダーとしての責任を明確に出来るバイブル書でしょうか。  
2002年3月24日(日)
今日は、善樹&裕美夫妻と共に我々夫妻の4人で奥武蔵縦走パートUに行って来ました。
コースは、芦ヶ久保ST-二子山-武川岳-伊豆ヶ岳-正丸STで、9時前にスタートし4時前に到着しました。
噂に聞いた芦ヶ久保から武川岳迄の急登のアップダウンは、なかなか大変でした。武川岳到着直前に風花が舞いだし、頂上ではなんと本格的に降雪でした。
木陰で食事していても寒くなり温度計を見ると0度でした。
本来、前武川岳経由、山伏峠〜伊豆ヶ岳の処を天候回復しない事を考慮し、エスケープとして「青少年自然の家」経由で峠越えを選びました。
峠に着くと天候が回復し、伊豆ヶ岳に行ってみる事にしました。頂上では嘘のような青空が広がり、辿った山並みが展望出来ました。又、待ち望んでいたカタクリの可憐な花にも逢えてとってもラッキーでした。
普段から飲めない善樹&裕美夫妻を伴い自宅近くの居酒屋で反省会。善樹&裕美夫妻さんには、感謝感謝です。
お陰で、インディアカの練習は、お休みさせて頂きました。
2002年3月18日(月)
「続・私の北壁」今井道子著を漸く読み終えました。
マッターホルンに続き、この本ではアイガーとグランドジョラスへの北壁登攀を著したものです。新田次郎氏の「銀嶺の人」には無いホノボノとした中にも緊張感を伝える秀逸な仕上がりに思いました。
2002年3月17日(日)
今日は、東松山市で西部地区インディアカ大会が有りました。シニア混合デビュー3戦目です。結果は、惨敗でした。しかし、暑い1日でした。朝、桜はつぼみが膨らむ程度でしたが、夕方帰る頃には、開いてきていました。今年の開花は、相当早そうです。
夜の練習に行きましたが、昨日に引き続いての昼間の大会で、やっぱり疲れていたようです。
2002年3月16日(土)
今日は、ミリオン山の会の春山訓練山行です。
井出さんと二人で浦山口駅から7:30スタートしました。
先ずは武甲山を目指し、子持山〜大持山〜妻坂峠〜武川岳〜前武川岳〜山伏峠〜伊豆が岳〜正丸駅です。
他のメンバーは、芦ヶ久保駅から生川〜武甲山〜子持・大持・妻坂〜生川を採りました。元気な女性二人は、妻坂峠から武川岳をピストンしました。
他に、武甲山から浦山口に逆送した組、4人。単独、名栗から武川岳に至り、合流し生川に採った人とバラエティに富んだコース取りでした。
飯能駅近くの居酒屋で約束の17:30に少々遅れましたが、井出さんと二人元気なみんなに迎えられ無事に合流できました。
皆さん、有り難う御座いました。
2002年3月13日(水)
今日「私の北壁」を読み終え、「続・私の北壁」を読み始めました。
2002年3月8日(金)
進兄ィが言っていましたが、密かにこの日記を楽しんでいるようです。
「早く、丸山山行コメントをアップしなさい!」
「偶には、掲示板に書き込みなさい!」
(好枝さんも、又書き込んでね!)
2002年3月7日(木)
隣のインディアカクラブに練習参加しました。
先日、大会終了したばかりで、参加者が少なかったのが残念でした。若い人を相手に2.15Mのネットは、難しいです。でも、練習には良い刺激です。頑張ろう!

今日の行き帰りの電車でもついつい寝入ってしまいました。
2002年3月6日(水)
今日は、良昭兄ィ家から出社。
10:30出社に拘わらず、定時には退社させてもらいました。
帰りの電車で「私の北壁」を読んでいましたが、昨夜の睡眠不足が祟り、寝入ってしまいました。
今日は、早めに就寝しました。

今日は、父親の70回目の誕生日でした。
おめでとう!何時までもお元気で!
2002年3月5日(火)
今日は、良昭兄ィが平田さんが来訪する為、誘ってくれました。
今日中に帰宅するつもりでしたが、結局泊まってしまいました。
泊まった時は、早朝に帰宅し一風呂浴びて、着替えて出社する積もりでしたが、起こしてもらったのが8時?頃で、慌てて朝ご飯を食べさせてもらい、駅に急ぎました。
折しも特急が待っていて、迷わず乗り込みフレックスの10:30迄に間に合いました。
これで、午前休暇を取らずに済みました。
良昭兄ィ、由紀江姉ェ有り難う御座いました。呆れずに今後とも宜しくお願いします。
平田さんも迷惑をお掛けして済みませんでした。
今後とも、宜しくお願いします。

この日の朝、「山は晴天」小西政継著を読み終え、「私の北壁」今井道子著を読み始めました。
2002年3月3日(日)
お雛祭りの今日は、隣町の狭山市でインディアカの大会がありました。
「第9回KSKインディアカ大会」です。
今までは、いつも川越市で開催していましたが、今回、初めての狭山市での開催です。
KSKは、川越市+狭山市+川島町のイニシャルからとった名前です。
最近、川島町の事務局協力が得られず残念ですが、チーム参加は数チーム参加してくれます。
今日は、4試合して2試合2セット先取で2勝。1試合3セットの末負け。残り1試合は、ストレート負けでした。
1セット以上は、勝てて良かったと思う反面、ストレート負けが残念で、練習に頑張ろうと思います。

2002年2月の日記
2002年2月28日(木)
今日は、浦和南山の会2月度例会でした。
昨夜、出張で小田原・根府川泊まりだったので、少々疲れ気味でした。
久し振りの山下さんの参加に、皆、喜んでいました。
年間の山行計画をしたり稀にみる充実した例会?でした。

出張からの帰りに「八重洲ブックセンター」に立ち寄り、「K」を購入し、早く到着した例会会場で読んでしまいました。
2002年2月27日(水)
今日は、小田原の根府川泊まりです。
行きの小田急線特急で事です。秦野駅に近づくと車窓から懐かしい丹沢の山並みが見えました。
奥秩父や信州などとは違う風景と海岸の近づく温暖な雰囲気を感じました。
海も好きですが、今は山の方が恋しいですね。
2002年2月26日(火)
明日の出張に備え資料を揃えていたら、5階に異動してきて初めての最終退室者になりました。
2階では、よくある事でしたが、久し振りで緊張しました。
漸く準備が済み、何とか終電に間に合ってホッとしました。でも、明日、朝一で銀行によって両替してから小田原です。
2002年2月25日(月)
今日は、HNK例会が新橋の染田さん事務所でありました。
再会を期待していた妙孝さんと良昭兄ィの二人に振られてしまいました(残念!)。
お陰で、早々と帰宅の途に付く事が出来ました。
二人には、何時会えるかなぁ〜・・?
2002年2月17日(日)
今日の大会では、全戦1セットも取れずストレート負けしてしまいました。
とっても残念でした。
ナベさんと寿さんのチームは、コート優勝を果たし帰りに祝勝会を盛大にやりました。
精神的にも疲れた一日でしたが、祝勝会で多少なりとも気が晴れました。
2002年2月16日(土)
来る3月3日に開催予定の「第9回KSKインディアカ大会」の準備が有りました。
終了後、お昼の食事会が有りましたが、気分が乗らず欠席しました。
明日は、県連盟主催の「さくら草大会」です。
頑張ろう!
2002年2月15日(金)
今日は、母の68回目の誕生日です。忘れていて、思い出したのが一昨日でした。家内に伝えようと思いましたが、結局、昨夜にやっと伝えました。例年、父の誕生日(3月)に一緒にお祝いしています。でも、電話ぐらいしなければ・・。
2002年2月14日(木)
今日もインディアカの練習に行きました。隣接する倶楽部への遠征練習です。相変わらず足首は痛く、昨日より痛みが激しいように感じました(昨日より激しい練習だったので、当たり前!)。チームメイトに迷惑にならないように頑張ります!
2002年2月13日(水)
今日は、日曜日に大会のあるインディアカの練習です。昨日から痛みが激しくなった右足首は、捻挫の様です。
練習後も痛みはあり(当たり前といえば当たり前)少々不安になる。でも、根性で頑張るのだ!
「垂直に挑む」は、芳野満彦著の「山靴の音」で出てくる北岳バットレス冬季初登攀、剣チンネ冬季初登攀等が、同伴者としてどんな想いで居たのか等が窺えて、興味深く面白く読めました。
2002年2月12日(火)
今日は、「ミリオン山の会」の2月度例会が有り、出席しました。メインの話は以下でした。
@2月2日(土)の山行反省。
A3月16日(土)予定の「春の訓練山行」。
帰宅後に、HPで知り合った方から「長谷川恒男」氏に纏わる秘蔵ビデオが届いていて、早速ビデオを鑑賞しました。感謝!感激!でした。
2002年2月11日(月)
朝食は、ユックリと7時少し前に摂りました。昼食に不安があったので何時になくお替わりしました。
1杯目を卵ご飯で、2杯目を梅干しのお茶漬けにしました。とても美味しかった。
雲取山の頂上から東京湾、新宿高層ビル街、サンシャイン60、新横浜高層ビルが見えたのは、感動ものでした。
予定通り12時に鴨沢に到着しましたが、バスと食堂が無く、留浦バス停まで行きやっと昼食にありつけた。
今日から「垂直に挑む」吉尾弘著、中公文庫を読み始める。(注:山行に持参)
2002年2月10日(日)
3度目の雲取山に挑む。初の雪中縦走である。滅多に行かない電車などを使う。
泊まりは、新築された雲取山荘です。とても、楽しみです。
アプローチは、三峰神社からです。結構雪が有りましたが、トレースはしっかりしていて問題有りませんでした。
持参した「二人のチョモランマ」を読み終えて、20時過ぎには早々と就寝しました。
2002年2月9日(土)
気が付いたら、西武新宿行きの上り電車の中「眠い中」にも乗り過ごした事を意識しつつ「又、眠れる」と深い眠りにつく。時々この様な状況はある。でも、今回が最悪の様だ。だって、3人掛けのスペースにドッカリと横になってしまった。(皆さん、ご免なさい)
明日からの山行準備をしなければならないのに・・。
2002年2月8日(金)
今日は、新潟の妙高高原から元気印一杯の妙孝さんがやってきました。最後までちゃんとお相手しようと思っていましたが、年期の差?でしょうか、見事撃沈されてしまいました。
2002年2月7日(木)
「彼方の山へ」は、出勤時の電車に乗って20分もしない内に読み終わってしまいました。残りの乗車時間を感想文纏めにしましたが、捗りませんでした。
帰りの電車では、「二人のチョモランマ」貫田宗男著を読み始めました。貫田さんとは、何度かお会いしているので読むのがとても楽しく「へぇ〜、あの貫田さんが・・?」とか想いながら新たな発見にワクワクしています。
今日も早めに帰宅後、インディアカの練習に行きました。今日の練習は、隣の倶楽部への遠征練習です。3週連続となるためか、若い人たちに口うるさく注文をつけてしまいました。でも、勿体ないんですよね、ホントに!
2002年2月6日(水)
今日は、定時に退社し早々に帰宅しました。17日に出場するインディアカ大会に向けてのチーム練習のためです。
漸く本腰を入れ始めた私に、チームメイトもホッとした様子で、何とか格好が付きだしてきて練習も熱くなっています。
「彼方の山へ」谷甲州著は、後少しを残すのみです。
2002年2月5日(火)
今日から、「彼方の山へ」谷甲州著を読み始める。
2000年6月25日発行の半世紀を語る自伝ものです。
この人は、本格的なクライマーなんですね。
話は変わって、映画「KT」の完成試写会に行って来ました。あの「金大中拉致事件」を扱ったものです。防衛大卒のエリート自衛官が、どのように係わったのか興味深く見せて頂きました。
当時の韓国の状況や日本の立場、米国は・・・。と、余りに平和すぎた日本を思い知らされ、そんな中で自衛隊が「日陰者」として貫かなくてはならない事に様々な想いが絡み合っていました。
2002年2月4日(月)
加藤保男著の「雪煙をめざして」を読み終えました。
著者の兄は、加藤滝男氏です。二人とも有名なクライマーで共に天才です。
加藤兄弟を知るきっかけは、新田次郎著の「銀嶺の人」でモデルの今井道子&若山美子の女性クライマーに興味を持ったのが始まりだったと思います。
本書の中には、若山美子さんのエピソードがあり興味深い。この女性も今井さん共々天才クライマーだった。
又、森田勝さんについてもページが割かれていて、とても生々しく楽しんで読ませてもらった。

2002年1月の日記
2002年1月30日(水)
今日から「雪煙をめざして」加藤保男著を読み始める。
又、インターネット販売を利用して「二人のチョモランマ」貫田宗男著が届きました。
貫田さんは、家内がキリマンジャロに行った時に大変お世話になりました。その事前会議やら反省会などで私も面識が出来、気軽に言葉を掛けて頂いています。
貫田さんの会社には、古野淳さんもいらっしゃって、古野さんも奇策にお話ししてくれます。
2002年1月21日(月)
今年は、日記帳をちゃんと付けようと一念発起しました。(掲示板参照)
と、云う事で取り敢えず書き込みました。
今週末は、浦和南山の会の1月度例会です。山の会に似合わず、海の見える展望の開けた某ホテルでリッチなディナーです。浦和からは遠く離れたお台場です。
でも、話はみっちり山に浸かりたいと思っています。
2002年1月20日(日)
インディアカの練習に行きました。
南大塚スポーツ愛好会の新年明けての1回目の練習です。
我々夫婦は、先週日曜日の第1回練習日は、金峰山山行の為お休みを頂いておりました。
インディアカ、悉く練習不足が祟った日でした。
2002年1月19日(土)
長男に一人暮らしをさせて、空いた部屋に溜まりに溜まった本を持ち込みました。
いつもの寝室は、少しはスッキリしましたが、もう2〜3週間を掛けて片づけが必要です。
明日も頑張ります。
2002年1月14日(月)
今日の金峰山は、雪も少なく天気も良くて満足行く山行になりました。
何時かきっと金峰山山荘で1泊したいと思っています。
とっても寒そうです。
2002年1月4日(金)
生憎の天候で、昨夜は頂上小屋までは行けませんでした。
天望荘に宿泊し、早々と下山しました。
縦走は、又の機会に!
2002年1月3日(木)
新年明けての第1回山行は、南八ヶ岳です。
天候が心配ですが、兎に角出発します。
赤岳天望荘又は頂上小屋に宿泊予定です。
天気が良ければ、中八ヶ岳に縦走予定です。
山中2泊山小屋泊予定です。
2002年1月1日(火)
新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。