西さんの日記

2004年

2004年12月の日記
2004年12月25日(土)
日和田山のゲレンデでアイゼンを着けてトレーニングしました。最も簡単な南面で行いました。先ずはフラットソールのクライミングシューズで2本。難なくクリア。その後に冬靴にアイゼンを着けて、手袋も着けて3本づつやりました。
イヤ〜難しかった事!ビックリしました。
此処、日和田山は11月に入るとアイゼントレに沢山の方が訪れていましたが、その真剣な取り組みの訳が解かりました。
今日も新たな課題発見になりました。

夜は家族の忘年会を行いました。和やかに楽しい時間を過ごす事が出来ました。
2004年12月24日(金)
年末年始の山行で八ヶ岳のプランがありました。気になる事があって確認してみると食い違いが有り白紙になりました。もう少しジックリと取り組む事にします。
でも明日のアイゼン・トレは、許可も出ているので参加予定です。(またまた課題発見になりそうです)
2004年12月23日(木)
黒山聖人岩に行って見ました。最低で5.8?〜のルートは、何処もハング気味で手掛かり足掛かりが小さかったり遠かったりで中々手強いものでした。岩質が石灰岩で滑る感じがして落ち着きませんでした。
課題の残るゲレンデでした。
夕方、所沢でU山の会忘年会が有り一年を振り返り美味い酒に酔い痴れました。
2004年12月19日(日)
本日、日本一の山頂から無事に下山しました。
あー、しんどかった!
八合目の太子館の脇にツェルト(私ら軟弱者はGORE-LIGHTテント)泊で耐寒訓練。ツェルトの強靭さに驚きでした。
天気の良かった昨日までとは異なり、山頂はガスが出てきて行く手を拒むようでした。精鋭の3名に我等2名が後を追い合流し、山頂までご一緒させて頂きました。
感謝、感謝!
山頂では、ガスと地吹雪で寒いのなんのって。うーさんが見つけた雪洞跡(直径3M)に潜り込んで小休止。2重の手袋の一つを外していたら、ジンジンとかじかんできて指が動かなくなりました。温度計は、なんと−8度でした。
登頂の記念撮影を何とか撮り終えて早々と下山に掛かりました。途中でリーダーと石ちゃんと合流し、一緒に下山しました。石ちゃんは、もう少しで山頂と云う所まで到達していましたが、我々が下山してきた為、已む無く断念した次第です。
太子館に戻り荷物を撤収し、即下山開始。佐藤小屋が遠く感じました。佐藤小屋で生ビールと何か食べたいと思っていましたが、リーダーは身支度できると下山を急がせました。
腹ペコと重い荷物で全身筋肉痛になり、駐車場に着いたら死にそうでした。
帰りに蕎麦屋に寄って生ビールで乾杯し、蕎麦に舌鼓し幸せ一杯でユックリと帰路に着きました。
皆さん、ありがとうございました!
2004年12月15日(水)
今日は、新宿で例会のある「どんぐり山の会」例会を見学してきました。
某有名な喫茶店の一角にオジサン達の集団がありました。隅っこに身を小さくした若い青年二人が不安(?)そうな目線を投げかけながら挨拶を交わしました。
後で解りましたが、半年程入会に決心つかず例会と山行にお供しているそうです。
岩登り教室でお世話になった永井さん(当会会長)もお見えになりホッとしました。程なく見学希望の青年が到着し驚きました。
なんと、岩登り教室で共に学んだOさん@久保田美酒でした。熱い想いを胸にこの日、訪れたそうです。
今週末、谷川岳で雪上訓練。年末年始に八ヶ岳行者小屋テント泊をベースに4泊5日合宿とか? 更に、その一週間後、甲斐駒下部のアイス3泊4日とか。
噂通りのハードな計画が目白押しでした。
例会後、焼き鳥屋に行って一杯、喉を潤して帰宅となりました。
大変有意義で貴重な時間を過ごせた事に、幸せを感じながら、何時もより寝付が良かったと思います。
2004年12月14日(火)
昨夜と今晩で過去の山行頁をUPしました。
123と124です。最近、UPする時間がとれずに居たのですが、都岳連岩登り教室で懇意になった方から、「今度、行くので参考にさせて!」と言われ、セッセと作成しました。
ホントは、一寸した参考メモを残すようにするとその時の記憶が良く蘇るのですが・・・。 少々残念です。
でも、声を掛けてくれて少しでも役に立つと想うと張り合いがあります。
ラストスパートで頑張ります。
2004年12月12日(日)
今日も快晴だった。
頑張って頂上直下の空木岳ヒュッテ迄荷物を上げて、小屋前にデポし、再度、山頂を目指しました。
避難小屋からの登りは、不思議にも昨日より短い時間で登れました。
やはりラッセルとアイスバーン(昨日は途中までアイゼンなしで登っていた)、そして疲れで思いの他時間が掛かったようです。
極上の快晴、山頂からの360度の大パノラマを満喫しました。
木曽駒ケ岳・宝剣岳〜檜尾岳経由の縦走ルートは、厳しそうでした。
近くに御嶽山が美しい。北に乗鞍岳、奥穂・槍。八ヶ岳、鋸から甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、北岳〜間ノ岳〜農鳥岳、塩見岳、荒川岳〜赤石岳、聖岳、恵那山と見渡す限り山々に囲まれていました。
塩見岳の左肩に富士山が、頭だけ申し訳なさそうに覗かせていました。
下りは尾根筋にノンビリ下山し、無事に麓のレストランに到着。早速、生ビールで乾杯しました。
2004年12月11日(土)
空木岳に行く事になりました。
4時に自宅を出発し、駒ヶ根ICを7時半頃出て池山尾根林道終点迄、車で入りました。
9時過ぎに登り始め、空木平避難小屋に2時過ぎ到着し、荷物をデポして頂上を目指しました。
雪のラッセルとアイスバーンに苦しめられながら、漸く頂上に到着しました。
頂上では快晴の中、夕陽に染まりかけた峰峰が、とても美しく神々しいものでした。
時間が遅くなったので、急いで避難小屋に下山しました。
夕焼けが摂っても美しく、夕焼けの赤とその下側の水色は初めて見ました。ホント綺麗でした。
そして、避難小屋での快適な小宴会を楽しみました。
就寝前、外のトイレに行く時に、満天の星空が拡がっていました。
久し振りに綺麗な天の川を見ました。
2004年12月8日(水)
同流山岳会例会の見学に行ってきました。
アルパインを中心とする会員が集っていました。
山想酔人さんから誘われた「12・18-19:富士山雪中耐寒訓練」参加に備えての打ち合わせを兼ねた見学でした。
月2回開催する例会は、その合間に行われた山行報告、40周年記念会報誌、例会のテーマ発表、今後の山行予定等など、レベルも高く楽しく拝聴させて頂きました。
年齢層は20代から中高年まで幅広い構成でした。
会長の村野さんから会の概要を説明してもらい見学の2人は早くも入会していました。
私も勧められましたが、「今の時点では入会は考えていません」と、愛想なくアッサリと言ってしまいました。
ジックリと考えさせて頂ければ嬉しいのですが、いかが相成る事でしょう?
2004年12月5日(日)
荒れると予報の天気が、起きてみると晴れていた。
でも異様な暑さ! 強風が吹きすさぶが生暖かい?
何とも奇妙な天候でした。
Y&H.S家には午後過ぎまでのんびりさせて頂きました。山の話をしていると時間の過ぎるのが摂っても早いんです。
2004年12月4日(土)
今夜は、ヨッちゃん&ヒーさん家に合宿に行ってきました。本場ヨーロッパアルプスを堪能する一時を過ごせました。来年はご一緒しようなどと話が展開し、ワクワク・ドキドキの心持です。でも、一度は訪れたい処なので思い切って行って見たいです!
2004年12月1日(水)
師走に入りました。早いものです。
今年は、都岳連の「岩登り教室」に参加して一つの大きな課題をクリアできたと思います。
半年間は、終わってみればアッと云う間でしたが、成果の多い内容の濃いものとなり、是非、今後に生かして行きたいと考えています。
残り少なくなった2004年も最後のラストスパートで頑張りたいです。

2004年11月の日記
2004年11月24日(水)
21日に慶事がありました。我が家は、受け入れ準備に寝る間も無い状況が続きながら、19日漸く片付きました。
ホッとしたのも束の間、20日は総勢11名が集まり一寸した民宿状態で、家中が熱気でムンムン状態でした。
明けて21日無事に終了し、一時的には16名がひしめき合う超過密状態で、テンヤワンヤでした。夜も更けると少し落ち着きを取り戻しましたが、この日出入りの有った数は17名に及びました。
翌22日〜草津温泉に7名で出掛けました。安価なペンションで温泉三昧し疲れを癒しました。此処で珍しい「しだれ栗」樹齢250年を見学に行きました。
帰りに伊勢崎に立ち寄りご挨拶、帰宅後病院の見舞いと分刻みの東奔西走に眼の廻る想いでした。
そして本日、車で空港まで送っていき、高速道路等の思わぬ渋滞にハラハラ・ドキドキしながら滑り込みセーフでホッとし、無事に見送り肩を撫で下ろしました。
帰宅後、荷物の発送や残作業を行い、夜を迎え漸く一息入れられました。
イヤァ〜、この10日間程、貴重な体験が出来ました。
山より疲れました。ホッと一息です。
2004年11月18日(木)
本日、岩登り教室の終了式でした。
和やかな中、半年間の苦労話に花が咲き、今後の山行に想いを馳せました。
2次会も盛り上がり、今後も一緒に頑張ろう(何を?)を誓い合いました。
何等かの形で今回集った仲間が、一つの纏まりとなる予感がヒシヒシと感じられます。
「本番は、これから!」で、今後が楽しみです。
2004年11月7日(日)
都岳連主催岩登り教室の実技6の二日目でした。
4つのルートを3人づつのグループに分かれて廻りました。その間にトップロープのセットとセット後の懸垂下降の研修がありました。
4つのルートには、優しいところから挑戦し最後に5.11aをチャレンジしましたが歯が立たないという状態でした。
前回実技5で三つ峠:中央カンテ〜天狗の踊り場に抜けた時は、少しは自信も着いてきたのに残念でした。
終了式で再会出来ますが、半年間共に学んだ受講生とも離れ離れになってしまいます。
これも淋しい限りです。
2004年11月6日(土)
都岳連主催岩登り教室の実技6の一日目でした。
主な内容は、ロープワークの復習でした。ポカポカ陽気で快適でした。
夕食時に夫婦で参加のM@夫さんが、我がHPをご覧になり「北鎌尾根」の山行記に感動されたと話してくれて嬉しく思いました。
経験豊富なY女史もご覧くださったとの事、徐々にですが我がHPも周知されつつあります。
欲を言えば来訪の皆さんに一言でも掲示板への書き込みがあればより一層嬉しいのですが。
明日の二日目も頑張るぞ〜!
・・・と、言いつつ飲みすぎてしまった!
2004年11月4日(木)
今週末、湯河原幕岩で実技6があります。
一泊の宿は「しとど庵」です。
http://www.mmjp.or.jp/bwj/aa2/frame.htm
このHPの掲示板は、アダルト関係の侵入で本来の機能を果たせずに居るようです。
うっかり書き込みも出来ないですよ。
2004年11月1日(月)
今年も残すところ2ヶ月となりました。
(早いですねぇ〜)
10月は、山行に行けませんでした。
岩登り教室を優先し、天候不順もあり日和田山通いが多くなりました。
今月は、最後の実技が湯河原・幕岩と卒業式があります。
慶事もあり多忙であります。
10月同様山行に行けないかもしれません。

2004年10月の日記
2004年10月28日(木)
岩登り教室の机上講習bWに出席しました。
講演は、松本竜雄さんから大森しげおドクターに変更されました。内容は、膝のメディカルについてで、興味深いお話を伺えました。
先日の実技5:三つ峠でご一緒した人との再会で写真交換など行いました。
そんな中、野○さんことAkiさんがHPに来訪してくれました。Akiさんは、なかなかの強者ですよ!
2004年10月25日(月)
今週28日(木)予定の松本竜雄さんの講演会は、氏が入院した為中止になりました。某U会のメンバーも参加予定だったので残念でした。
各教室の机上講習は、別メニューで行われるようです。
松本さんに大事がなければと良いがと心配です。
2004年10月17日(日)
昨日から三つ峠に行っていました。天気が良くて富士山が綺麗に見えていました。
土曜日は、午後から寒くなって夕方は、身震いしながらの登攀で上手くいきませんでした。
日曜日は、暑いくらいで半袖シャツ一枚で汗をかきました。最上部までの数ピッチもパーティ全員事故無く無事に到着できました。
高取先生のもと野○女史、児○氏共々大満足な一日でした。
帰りには早くも全身筋肉痛を感じていました。

☆大西主任講師と森田部長、鈴木講師に講演会の生徒外参加の是非を問い合わせしました。生徒の皆さんの同意を得られて募集できる事になりました。早い者勝ちです。
2004年10月11日(月)
待望の3連休も天候不順で大幅な変更と停滞を余儀なくされた。残念であった。
台風22号が関東に接近した9日(土)は、完全に自宅での沈殿に終わった。
噂に聞けば某M会の精鋭(?)2名+家族の4名で北鎌尾根に出発したとか・・・。如何相成ったか興味をそそられる。
又、進兄ィ一行の苗場山も中止したそうな。賢明!
10日〜11日に期待したが、雲が立ち込めていた。取り敢えず目的とした小川山に出発。廻り目平は何とか天気は持ちそうだった。ガマスラブで復習を兼ねて練習した。11日は八ヶ岳:天狗尾根に行こうと話しが出ていたが大きく覆っている暗雲に意気消沈し帰宅する。
11日は日和田山に岩登りの練習を考えたが朝起きると小雨が降っていたので寝なおした。
何とも不完全燃焼の3連休だった!
2004年10月5日(火)
日曜日から降っている雨は、今日も降っている。
折角の紅葉の季節に長雨が邪魔している。
今週末の3連休に計画している山行はどうなる事やら・・・。
2004年10月3日(日)
速くも10月に入り、最初の週末を迎えました。
生憎、仕事と天候に阻まれ遠出に行けずに居ます。
昨日は、天気が良かったので日和田山のゲレンデに一人で行ってきました。
一人だとメインロープに自己確保器をセットし吊り上げながら登り、下りる時には一回一回懸垂下降をしながらで大変でした。
初心者らしく安全第一で練習しました。
今日も午前中行こうと思って朝早く起きる予定でしたが、朝起きてみると既に雨が降り出していて、止むを得ず自宅待機となりました。

2004年9月の日記
2004年9月26日(日)
昨日から奥多摩のつづら岩に一泊で行ってきました。
某岳連岩登り教室の第4回実技に参加してのことです。
生憎の天候で前日少し陽が指していただけで、後は雨に祟られました。
講師11名と男性生徒20名は、8つのテントで寝起きしました。夕食とその後のミーティング?時も雨が降っていて、座るわけにいかず傘をさしての屋外ではユックリ出来ませんでした。
2日目も朝から雨、ゲレンデ講習は中止、近くの林道脇の擁壁で懸垂下降、自己吊上、ビレイ時の自己脱出等を行いました。
テントと食事は、生徒を班分けしました。私の班は評論家の異名のある某氏の拘りカレーでした。材料分担で持ち寄り作って食べました。これがまことに上手いカレーでした。これはリーダーのみならず、美味いご飯、更に分担各自の材料にも手抜きの無かった事が裏付けされていました。
フックラと炊き上がったご飯、大き目のボリュームあるビーフ、辛口と甘辛口の2種ブレンド、講師の葡萄酒など等。
2004年9月20日(月)
南アルプスの荒川三山・赤石岳の縦走に行ってきました。天候に不安がありましたが強行突破を試みました。
メインの稜線歩きを予定した二日目(19日)は、予報通りの暴風雨となり久し振り(?)の一日中雨具着用の山行となりました。
最終日、小屋から椹島まで早く下山でき、温泉に見放されたおかげ(?)で予定より早く自宅に帰り着きました。
夜、ビデオ等を見ながら反省会(?)で天気が良ければ好展望の稜線漫歩だった事を恨めしく酒を酌み交わしました。
2004年9月13日(月)
某U山の会2004年メイン山行から無事帰還できました。
今回は、3年前のリベンジにそして某女子の追悼を兼ねた山行でした。天気に恵まれたので事故も無く当初の計画通り完全登攀できました。
4名という少数精鋭のパーティでしたが、それでも多いと思うくらいでした。
理想的には2名が妥当でしょうか?
コースは、奥穂〜西穂でした。
自宅には22時過ぎに到着しました。
2004年9月9日(木)
都岳連の岩登り教室があり出席してきました。
机上講習6である。
いよいよマルチピッチ登攀に備えての授業でした。
次回、実技4(つづら岩)で実践です。
幕営に備えて我が"F班"では準備連絡にお互いのメール及び専用掲示板で行うことになった。
私のHPも紹介させていただいた。
その仲間が訪問してきて呉れれば賑やかになるだろう。
2004年9月1日(水)
本日20時頃、浅間山が噴火しました。テレビも臨時ニュースで伝える程でした。出てきた映像も火口が赤くなり噴石が落ちる様子や雷が発生している様子が判りました。活火山の恐ろしさを窺う貴重な一時でした。
今年も残すところ4ヶ月、2/3が過ぎた事になります。
今月は、メイン山行などを予定しています。天候に恵まれますように神頼みしています。

2004年8月の日記
2004年8月15日(日)
13日〜15日と3連休を取って南アルプスに出掛けました。目指すは、塩見岳〜蝙蝠岳のピストンです。
15日の天気が不安なため1泊2日の強行軍で行ってきました。
塩見小屋に宿泊したのですが、今年の一番の込み様で予約無しで泊まった為、ギュウギュウ詰めで大変な目にあいました(海の日は天候が悪く少なかったそうです)。
そんな中で蝙蝠岳まで足を伸ばせて無事に踏破できたので充実した山行になりました。1日目塩見小屋で受付後、塩見岳頂上で360度の大パノラマを晴天の中、ユックリと満喫しました。2日目の蝙蝠岳往復を併せて3度も塩見岳山頂を踏みしめてきました。
登り口は、塩川小屋のある処からで三伏峠迄は、樹林帯で展望が無く厳しい急登でした。三伏峠から塩見小屋迄もアップダウンのある辛いルートでした。
登り口が1300M程で塩見岳が3056M、途中のアップダウンを加えると一日で2000M近い標高差を登ったことになります。
全身の筋肉痛が物語る所以です。

今日は涼しく、昨日まで続いた真夏日の40日記録(東京都心)も途絶えました。
2004年8月3日(火)
8月に突入です。
6月〜7月は記録的な暑さ(異常気象?)でした。海の日を境に、山では多くの遭難事故が発生しました。
とはいえ、8月の声を聞いたとたん涼しくなった気がするのですが・・・。

2004年7月の日記
2004年7月15日(木)
山岳関連図書記録
・現在読書中「垂直の記憶―岩と雪の7章」山野井泰史 (著)単行本(2004/03)山と渓谷社、価格:¥1,575(税込)
寸評:先の技術書は、読むのが辛いがこの手の本は読んでいて面白いので進むのが早いです。

・6月末〜7/12迄「最新クライミング技術」菊地 敏之 (著)価格:¥1,680(税込)単行本:224p;サイズ(cm): 21x15、出版社:東京新聞出版局;ISBN:4808307561;2002/05)
寸評:内容は確かで役に立つが読むのが辛い。直ぐに眠くなってしまう。毎日少しずつ読み続けるだけです。

・〜6月末迄、『超火山「槍・穂高」―地質探偵ハラヤマ/北アルプス誕生の謎を解く』原山智(著),山本明(著)、価格:1,575(税込)出版社:山と渓谷社;ISBN:4635201015;(2003/05)、単行本-237p(2003/05)
寸評:兎に角、詠むのが辛かった。漸く読み終えた。しかし、笠ヶ岳に行った時、それらしい岩石や地層に目がいってしまった。
2004年7月11日(日)
昨日、日光白根山に行ってきました。昨夜、光徳牧場前の駐車場に車中泊しました。今朝、戦場ヶ原を散策し早めに帰路に着きました。
日光白根山は、丸沼からロープウェイで往復しセンターハウスで温泉につかり楽チン+快適な山行になりました。温泉からあがると夕立で物凄い土砂降りでした。
2004年7月4日(日)
笠ヶ岳に行って来ました。
2日(金)の夜自宅を出発し途中で仮眠し、新穂高温泉に3日(土)6時過ぎに無事到着し、準備をして7時頃歩き始めました。急登で名の知れた笠新道です。
ずっと登りたいと思っていた笠ヶ岳に天候の不安があり心配していましたが、登頂した14時から雲の切れるのをジッと待ち15時頃漸く晴れてきました。夜から翌日も快晴に恵まれ最高の山行になりました。
笠ヶ岳から見た穂高・槍連峰のダイナミックなパノラマは、格別でした。中でも、槍ヶ岳〜北鎌尾根は、一際荒々しく際立った迫力を魅せてくれていました。
又、野口五郎岳〜鷲羽岳、水晶岳〜赤牛岳、薬師岳〜北ノ俣岳〜黒部五郎岳、双六岳、遠く立山三山と剱岳と満喫できました。
下りは、抜戸岳〜弓折岳〜鏡池〜ワサビ平と辿りました。360度の展望を満喫しながら、前記の峰々のほか乗鞍岳や御岳山、木曽駒ヶ岳、白山も見えていました。
余りの暑さに途中の橋の架かる沢で身体を冷やして下山しました。すっかり日焼けし真っ黒になりました。
2004年7月1日(木)
今年も早後半戦に突入です。
各地で山開きの便りが聞かれます。
富士山、北海道なども山開きだそうです。

2004年6月の日記
2004年6月28日(月)
東京都山岳連盟の「岩登り教室」実技@三つ峠:屏風岩に参加してきました。
昨日、帰りの車中で全身筋肉痛でサイドブレーキも片手では操作不能、両手で漸く操作できました。
帰宅後、汗を流し缶ビールで喉を潤しましたが、なんと! 缶ビールの栓を開けるのが片手で出来ませんでした。握力が無くなっていました。
今日も一日中、筋肉痛に苦しめられました。
課題山積の実技でした。
2004年6月17日(木)
都岳連の「岩登り教室」机上講習会Aに出席してきました。来る26日・27日は三つ峠山の岩場で実技講習@です。久々の緊張感を感じます。

山岳関連図書記録
『超火山「槍・穂高」―地質探偵ハラヤマ/北アルプス誕生の謎を解く』原山智(著),山本明(著)、価格:1,575(税込)出版社:山と渓谷社;ISBN:4635201015;(2003/05)、単行本-237p(2003/05)
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目次
第1部 地質探偵事件簿―「天空にそびえる巨大カルデラ伝説」を追う槍・穂高連峰
(厚さ1500mも堆積した謎の火山岩「厄災の山」の戦慄のプロフィール 世界記録が密かに眠る山)
第2部 地質探偵事件簿―北アルプス地質迷宮紀行(「デコレーションケーキ」のできるまで―雲ノ平と黒部川・高天原
大陸生まれの巨峰の誕生秘話―薬師岳・笠ガ岳
火山もないのに湧く神秘―中房温泉、黒部峡谷温泉郷ほか ほか)
第3部 地質探偵事件簿―名山たちの「出生の秘密」(雪倉岳・朝日岳・白馬三山・不帰ノ嶮・唐松岳 ほか)
SPECIAL 地質探偵ハラヤマ特別講義―我が愛しの山、笠ガ岳ストーリー

☆今回は、学術的な専門書に近く苦労しそうだ!
2004年6月16日(水)
山岳関連図書記録
「エベレストのぼらせます〜中高年のためのわがまま登山術」大蔵喜福著、小学館、2000年5月1日第1版第1刷発行を読み終えた。
大蔵氏とは、実は面識がある。昨年の暮れにお会いした。当時は、詳しくなく言葉を交わすことも無く、今にしてみれば至極残念である。しかし、そのうちに再会することもあろうかと思っている。

寸評:氏がマッキンリーの気象観測登山を10年間行い、その後をどうしようかと考えて始めた?ヒマラヤを中心とする日本発日本人のための日本人だけの公募登山隊に至る経緯が窺える。
今後の氏の活動を見守りたい。
2004年6月11日(金)
山岳関連図書記録
「100万回のコンチクショー」野口健著、集英社文庫、2004年5月25日第一刷発行。(2002年2月集英社より刊行)
寸評:本人が著した「落ちこぼれてエベレスト」《既読》及び先の「僕の名前は。アルピニスト野口健の青春」一志治夫著、講談社文庫と重複する部分が多い。但し、七大陸最年少登頂記録を樹立したその後がメインテーマになっている。いわゆる環境問題提起と清掃登山運動だ。又、前後して家族のことにも詳しく触れており、野口健という一人の人間形成の過程が語られている。
つい私も環境問題について考えさせられ、子育てや自分の人間形成に想いを馳せている。
帰りの電車から、「エベレストのぼらせます〜中高年のためのわがまま登山術」大蔵喜福著、小学館、2000年5月1日第1版第1刷発行を読み始める。
2004年6月10日(木)
今朝、西武新宿の北口を出て横断道路を渡ろうとしていると、反対側から老夫婦も渡ろうとして待っていた。
近くの大久保病院での診察の帰りなのだろうが、幅の広くない道路で戸惑っている様子であった。
一方通行の車のくる方向を見ると東京都のゴミ収集車が轟音と共に迫ってきていた。
方向指示器も着けない侭、直前になって左折し「早く分かっていれば、老夫婦も渡れたろうに」と思っていた。それに「もう少しユックリと走れないものか?」とも思った。
其処で、私は渡り始めた。するとゴミ収集車の後ろからタクシーが突進してきた。私は、横断歩道の真ん中、道路の真ん中で仁王立ちし、手を広げてタクシーを静止した。タクシーが止まるのを見て、反対側に居る老夫婦に渡るように手招きした。
そこから2〜3分歩くとトラックが斜めに駐車していて対向車も来ていたので斜めで空いた道路端との間から進もうとした。処が、トラックの後ろには、軽ワゴンが隙間無い様に道路端に駐車していた。私が進もうと判断する時には、トラックが斜めに駐車していて見えなかったのだ。トラックの後方まで行って漸く判明した次第。
朝から、身勝手な諸事に遭遇し少々疲れた一日のスタートとなった。
2004年6月8日(火)
「100万回のコンチクショー」野口健著、集英社文庫、2004年5月25日第一刷発行。
今日から読み始める。
2004年6月7日(月)
山岳関連図書記録
「僕の名前は。アルピニスト野口健の青春」一志治夫著、講談社文庫、2002年5月15日第一刷発行(2001年6月単行本で刊行)
寸評:本人が著した「落ちこぼれてエベレスト」《既読》と重複する部分が多く、著者の一志氏も後書で執筆の意欲を殺がれていたと語っている。しかし、第三者による著書が世に出る意義は大きく、野口氏がアルピニストであることを実感させられる。
2004年6月6日(日)
昨日、笹ヶ峰ビジターセンター前駐車場に車を置いて、黒沢池ヒュッテ経由で妙高山に登頂できた。
途中の大倉乗越からの下りは、残雪があり夏道のトラバース道は通行不可であり、乗越からの雪渓を真っ直ぐに降りなければならなかった。
傾斜45度の雪渓は、黒沢池ヒュッテ管理人も言っていたが、装備不良と経験不足による滑落事故多発箇所であり、我々も難儀させられた。
昨夜は黒沢池ヒュッテ泊し、今朝はユックリと火打山を目指し、無事に登頂できた。
心配した天気も影響は少なかった。
日照りにならず却って快適な山行になった。
2004年6月4日(金)
妙高山・火打山を目指して今夜出発予定。

2004年5月の日記
2004年5月23日(日)
白山に登頂しました。
金曜日の夜、自宅を出発し姨捨SAで仮眠し、翌早朝に大白川ダムを目指しました。此処は、残雪により通行不可(ガーン)。
迂回した白山スーパー林道も同じく残雪により全線通行不可で結局、金沢経由の一之瀬ビジターセンターまでのドライブで暮れてしまった。
結果として雨に祟られず日帰りで無事登頂できた次第です。
帰りは、北陸道から関越道と至り深夜零時の帰宅となりました(フーッ)。
2004年5月9日(日)
1日:木曽駒ヶ岳〜宝剣岳〜空木岳を計画し出掛けました。宝剣岳は、今年滑落事故が相次ぎ厳重な長野県警のパトロールと入山規制が敷かれていました。木曽駒ヶ岳を済ませて宝剣小屋から宝剣岳に向かいましたが、ヘルメットと50Mザイルが無いと指摘され追い返されました。千畳敷ホテルに戻ると極楽平へ登り返す気力が無くなり、下りてしまいました。
2日〜3日:予定変更で御嶽山へ向かいました。山中1泊予定で昨日に続きボッカしました。全ての小屋は雪の中で人気のない中、頂上小屋脇の木製テラスに幕営しました。19:00過ぎに風が出てきて朝になってもガスは晴れず、朝食後早々と下山しました。途中の稜線などで可成りの強風に見舞われましたが、何とか無事に下山できました。
7日〜8日:巻機山へ行きました。9合目に避難小屋があるので利用する事にしました。金曜日という事で入山者は無く、小屋も貸し切り状態でとてもくつろげました。夜、外に出てみると満天に星が降り注いでいました。瞬くことなく好天が約束されている様でした。小屋の朝は、小さな窓から明るい朝陽の光が暖かく迎えてくれました。前峰・本峰・牛ガ岳・割引岳と稜線を辿り360度の展望を4度満喫しながら楽しみました。
すっかり雪焼けしてしまい、明日からの出勤で冷やかされそうです。

2004年4月の日記
2004年4月6日(火)
「ジャヌー北壁」著者:小西政継、税込価格:\1,470 (本体:\1,400)出版:白水社、サイズ:新書/286p、ISBN:4-560-03008-1、発行年月:1987.6。
・小西政継さんの4作目を読破。
・困難なバリエーションに挑む鉄の意志が伝わってくる

今夜から「エベレスト・ママさん 山登り半生記」〜(Yama‐kei classics)、著者:田部井淳子、税込価格:\1,680(本体:\1,600)、出版:山と渓谷社、サイズ:四六判/253p、ISBN:4-635-04705-9
発行年月:2000.4。
を読み始める。女性登山家の著書は、初めてとなる。
※「いまだ下山せず」等は、別扱い。
2004年4月1日(木)
今日は、市ヶ谷で早い時間から会議がありいつもの駅とは異なった。
帰りに原チャリを如何に回収するかを検討していた。
結局、最も安価で時間的にも早い回収が出来たと自負している。
さて、いつもと違う未体験ゾーンにワクワク・ドキドキしながらおよそ30分程の小旅行を楽しむことが出来た。
若くして嫁いだ娘のバイト(主婦になるとパートと呼ぶのが妥当か?)先の店を確認してみようと胸を躍らせる。
ここぞと思う角を回り込み商店街の通りに出て探すが、回り込む角が遅かった様だ。
いやはや、全くもって残念であった。
備忘録:
一駅先の終点:20:10
小旅行:〜20:30
自宅着:20:35

2004年3月の日記
2004年3月24日(水)
今日、「小西さんちの家族登山」小西郁子さん著を読み終えました(2度目)。
山岳同志会において「鉄の掟?」を定めて厳しく困難な氷壁に取り組んだ小西政継氏。
そんな氏の優しく、よく気のきく普通のおじさんだったという一面を身近な奥様が愛情溢れる文章で綴っています。今回もまた魅了させられた。
我が子や弱者に虐待を繰り返す、壊れた偽大人の多い昨今。
夫婦であり親子である家族同士の深い愛情と絆を感じた。
世界中を敵に回しても家族が信じてあげて、身贔屓しないで誰がしてくれるの!
いけない事はいけない、駄目な事は駄目とハッキリと家族で生まれてからいつも繰り返す。
人は人、自分は自分で基準はあくまでも一人一人の個人であり家族である。
強烈な個性であるが、真理をついていると思う。
好きなものは好き、嫌いなことは嫌い。
超一流の子育て教育であり家族の物語です。
是非、ご一読を。
2004年3月11日(木)
久し振りの書き込み。
今、小西政継さんの「山は晴天なり」を読み返している。先日、善樹さんから借りた(無理やり?「読め!」と置いて行かれたもの)渡辺玉枝さんの「63歳のエヴェレスト」と石川富康氏の「50歳からのヒマラヤ」を読んで、疑問が湧いたのがきっかけになっている。
今日辺り読み終えるので小西郁子さんの「小西さんちの家族登山」を鞄に忍ばせている。これも2度目の楽しみな一つです。

2004年2月の日記
2004年2月29日(日)
本日は、4年振りの貴重な一日。
2月を代表するこの日に日記をしたためましょう!

朝からインディアカの集まりでした。
市の連盟の役員を仰せつかっている為に駆り出されてしまいました。天気予報とは裏腹に薄曇りと陽の射す小春日和でした。例年よりも賑やかだったのではと思ったのは、私だけだったでしょうか?
新たなネットワークと参入者が継続できれば幸いです。

2004年1月の日記
2004年1月11日(日)
かねてから一度は訪れたいと考えていた上高地に行ってきました。
昨日から入って天気が悪かったのですが、二日目の今日は、快晴に晴れ上がりユックリと散策できました。
結構日帰りで入る人が多いのに驚きました。
2004年1月1日(木)
新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今日は、昨夜の娘夫婦との大晦日の団欒に続いて、長男が彼女と訪れてくれました。
和やかな正月を迎えられました。

さぁ、今年は山三昧といきたいものですね!