西さんの日記

2006年

2006年12月の日記
2006年12月31日(日)
今日は、石鎚山に登りました。試し鎖に始まり二の鎖、三の鎖を辿りました。三の鎖は、特に緊張させられました。雪の付いているこの時期は、大変で殆どの人は巻き道を辿っていました。
山頂では天気に恵まれ大展望が楽しめました。天狗岳にも踏み後があり辿る事が出来ました。
隣接する笹ヶ峰がどっしりと格好よく鎮座していました。雪を被り綺麗でした。
2006年12月30日(土)
剣山に登りました。天気が良かったので展望が楽しめました。頂上では風が強くてとても寒かったです。次郎笈(ギュウ)が格好良かったです。山頂で会った人に吹き溜まりは雪が深そうだと聞いて、次郎笈を諦めました。
また三嶺も格好良く登ってみたいと思いました。でも三嶺も手強いと先の人が教えてくれました。
地元徳島の方でした。
幹線道路から登山口までの40キロ以上の道のりはとても遠く大変でした。特にスキー場を過ぎてからが緊張させられました。
2006年12月1日(金)
今年も残すところ一月となりました。早いものだと感じます。今年は、山行以外の諸事に追われた忙しい一年でした。そんな中にも思い出深い山行や旅が想い出されます。結果オーライの感は否めませんが、残り一月楽しみたいと思います。

2006年11月の日記
2006年11月19日(日)
天気が悪いので山行は、取りやめました。
その代わりではないのですが、お世話になっていた方の3年忌が間近でありご主人を尋ねることにしました。
スッカリお元気になられて、心待ちにしてくれていた様子で、笑顔で迎えられました。久し振りに色んな話が出来て、美酒に酔いしれることが出来て、とっても幸せな一時を過ごせました。
ご本人の百名山も残り僅かとか、今週末も恵那山が予定されていたと聞いてビックリ。我等も恵那山を予定していたのですから・・・。
2006年11月4日(土)
昨日に引き続いて平ヶ岳に行って来ました。昨日の越後駒ケ岳が5.2キロの往復でしたが、今日は11キロの往復でした。昨日と同様に登り口に5時前に到着しヒヤッとしました。
何はともあれ無事に下山できて充実した山行を終えられました。
2006年11月3日(金)
3連休で東北方面に行こうと話していましたが、天気が悪そうなので、近場の新潟方面に変更しました。
今日は、越後駒ケ岳に行ってきました。先週の皇海山に負けない位の厳しい山行でした。ピストンでしたが、林道の登り口(十二平)に4時過ぎに無事着いてホッとしました。
荒金入口〜荒山、越後三山森林公園(駐車場に駐車)〜十二平〜力水〜人松〜我忘峰〜グシガハナ〜駒ケ岳山頂 【往復】
2006年11月1日(水)
いよいよ11月に突入しました。今年も残り2ヶ月になりました。心残りの無いようにラストスパートをかけていきたいと思います。

2006年10月の日記
2006年10月28日(土)
慶事により山行に行けなかったので、少しハードな日帰り山行になりました。
「庚申山・皇海山」を足尾温泉の国民宿舎かじか荘からピストンしました。
ハードでした!
2006年10月9日(月)
三連休を使って「光岳・聖岳」の縦走に行ってきました。
初日は、易老渡から光小屋まで辿りました。小屋から上は、ガスに包まれてとても寒い思いをしました。でも二日目には晴れて光岳と光岩を楽しみ、茶臼岳・上河内岳を辿り聖平小屋に無事着きました。展望は、最高でしたが強風に苦しめられました。上河内岳では、特に激しくて記念写真を撮ったら直ぐにおりました。三日目は、風も無くて聖岳山頂でユックリと展望を楽しめました。聖岳山頂で北アルプス、中央アルプス、御岳、白山と真っ白な雪嶺にビックリしました。三日間同じだった関西方面から来ていたテント泊の二人連れの方が「大荒れで沢山の遭難者が出ているそうだ」と、教えてくれて改めて驚きました。
私事ですが、聖岳を登頂し国内の3千m峰を踏破しました。関西のテント泊の方も同様で話されていましたが、その時は、私もそうだと気付かずに共に喜びを分かち合えず残念でした。
無事家について祝杯に酔い痴れました。
2006年10月1日(日)
天気が思わしくないので家で待機でした。
今年も残り3ヶ月です。今年は、天気が不安定でなかなか難しい山行になったような気がします。
皆さんは、如何でしたか?

2006年9月の日記
2006年9月30日(土)
週末天気予報を見ると日曜日は崩れる予報なので、土曜日日帰り山行を計画しました。
目的地は、長野県川上村の天狗山〜男山です。
小川山や金峰山、甲武信ヶ岳に行く時などに、気になっていた山です。
久し振りのS夫妻とご一緒し、反省会も盛り上がりました。
2006年9月23日(土)
函館の朝市で、お土産を買いました。そして新鮮な美味しい、海鮮朝食を頂きました。その後、時間が空いたので函館山に行ってみました。天気は、良いようで下北半島も見えていました。北海道とお別れですが、大雪山の雄大さと綺麗な紅葉を堪能し、トムラウシの厳しさに触れる事ができ、剣山というマイナーでも十分に楽しめた、これらの山々に巡り会えて満足出来ました。
また訪れたいと思いました。
2006年9月22日(金)
なかなか天気が回復せず、安定した山の好天が望めない状況でした。芦別岳は残念だが諦めました。
僅かな望みを持って羊蹄山に行ってみる事にしました。
行ってみると雲の切れる事もありましたが、直ぐに傘雲が掛かる不安定な天候でした。此方も諦めて函館に向かいました。
懐かしい湯ノ川温泉も楽しみでしたが、以外と泊まれる処が見つけ辛くて困りました。
2006年9月21日(木)
登山口の駐車場には、奥から練馬、横浜、水戸、帯広、千葉、岡山と並んでいました。皆、日帰りのピストンを予定しているようでした。前トム平を過ぎて稜線に出ると強風に見舞われました。麓とは一変する厳しい状況になりました。
トムラウシ公園の鞍部は、幾分風が避けられホッとさせられました。山頂近くなると、氷の固まりが降ってきて、ビックリしました。山頂は強い風とガスで長居出来ず残念でした。山頂で降ってきた氷の固まりの正体が分かりました。なんとエビのシッポが出来ていて、強風で吹き飛ばされたものでした。
トムラウシ山は、遠く厳しい山でしたが、達成感のある思い出深い山になりました。
2006年9月20日(水)
台風の影響は、今日も残り高い山は諦めて、近場で面白そうな剱山に登りました。頂上は尖った岩で展望が素晴らしかったです。
下山後、明日のトムラウシ山に向けて食料の買い出しと移動をしました。トムラウシ温泉に入って、鍋の食事で鋭気を養いました。
2006年9月19日(火)
今日は十勝岳を予定していましたが、台風の影響で中止しました。天気予報を見ると道北〜西部は悪いようで、帯広方面に向かいました。帯広は大きくて綺麗な街で帯広駅も立派でした。駅前の長崎屋に入って買い物に高じました。
夜は、ご馳走にしようと道の駅「おとふけ」中華バイキングに行ってみました。すると3連休明けの臨時休業でガックリしました。気を取り直して、道の駅「ピア21しほろ」のステーキを堪能しました。
でも、少々値段が高価でした。
2006年9月18日(月)
今日は朝食前に桂月岳を往復して展望を楽しみました。
今日のコースは、石室〜北鎮岳〜比布岳〜安足間(アンタロマ)岳〜当麻岳〜当麻乗越〜裾合平〜姿見平を辿りました。
当麻岳からの、旭岳・裾合平の紅葉が素晴らしく、とても綺麗でした。同所から反対側の沼ノ平も紅葉と池塘が綺麗でした。
裾合平分岐周辺は、紅葉に囲まれた何時までも見飽きず、何処から何処を見ても見飽きない素晴らしい処でした。
台風13号の影響で姿見平に着く前から強風にさらされました。ロープウェイも一時運休しどうなるのかと心配でした。
2006年9月17日(日)
旭川鷹栖ICで高速を降りて、旭岳温泉ロープウェイ乗り場に行きました。今日明日と大雪山を巡ります。宿泊予定は、黒岳石室に素泊まりです。食事と寝袋持参で荷物が重くなりましたが、頑張りました。コースは、姿見平〜旭岳〜間宮岳〜北海岳〜黒岳石室でした。時間があったので北海岳⇔白雲岳と石室⇔黒岳を辿りました。白雲岳からの戻りでナキウサギに会いました。シマリスも良く見かけました。石室の管理人さんは、気さくで優しい人達でした。トイレが最新のバイオトイレに新築されていて快適&ユニークでした。
2006年9月16日(土)
6時頃起きて先を急ぎました。岩手山の良く見える岩手山SAで朝食をとりました。食後SA内の岩手山展望場で岩手山を間近に見れました。また訪れたい良い山です。
青函フェリー乗り場には、10:30頃到着しました。11:35発を予約しましたが、キャンセル待ちになりました。でもギリギリ乗り込めました。無事函館に着いて、旭川を目指しました。国道から国縫(クンヌイ)IC〜高速を利用しました。北海道のSA/PAは、レストランや軽食が殆ど無くて、あてにしていたので参りました。札幌手前の輪厚(ワッツ)PAで漸く食事にありつけました。食べてる間に蛍の光の音楽が鳴り出して、まさにギリギリでした。
2006年9月15日(金)
明日からの夏期休暇に北海道の山を巡りたいと考えています。出発予定を少し過ぎて出発しました。
久喜ICから安達太良SA迄が予定のコースです。少し頑張って鶴巣PA迄足を延ばして仮眠しました。
2006年9月10日(日)
久し振りに出掛けずに溜まった山行記録などをHPにUPした。3週分にもなると大変だった。スナップなどは、天気も良かったのでツイツイ見入ってしまい、捗らなかった。
秋の味覚の栗拾いに出掛けた。愉しくて美味しい一時が過ごせて幸せでした。
2006年9月3日(日)
自然観察園近くの無料駐車場から石跳川を遡り頂上を目指し、月山山頂に到着しました。
人気の山の様で、途中から沢山の登山者と一緒になりました。頂上の神社周辺も人だかりが出来ていました。
下山道も途中からは、我々だけの様で静かな山行になりました。自然観察園のネイチャーセンターで見学すると月山の登山ルートを聞かれ、話すと「とても良いコースを行かれましたね!」と、言われました。
近くのハンモックは、快適でした。
2006年9月2日(土)
朝のスタートが遅くなるので障子ヶ岳に決定。
周回するコースであるが、急登の連続に少々バテ気味でした。汗ビッショリになりましたが、下山後の道の駅「にしかわ」でのユッタリ温泉と夕食で満喫できました。
2006年9月1日(金)
いよいよ9月に突入です。諸事に明け暮れた前半戦も無事に終わって本来の(?)山行が復活しています。
さて、3週連続となる今週末は、東北に足を伸ばすことに・・・。

2006年8月の日記
2006年8月27日(日)
朝、3時過ぎに起きて朝食を済ませて4:30に出発した。
暗い中ヘッドランプを点けながらの急な登りだ。
5時頃薄明るくなってきて、ヘッドランプを点けずに登れるようになった。昨日と同様にガスが取り巻いていて遠くは展望が利かなかった。7:00に登頂できた。
久し振りの剱岳で「こんなだったかな?」と、記憶があやふやなのに驚いた。しかし、展望の無い山頂でも、充実感のある至福な一時が得られた。
今日中に下山し帰路に着くので早々と下山に取り掛かる。9:30にはテント場に着いて、片付けをして10:00に重いザックを担いで下山する。草臥れた足腰に日差しがキツク殆どボロボロでした。
駐車場の馬場島荘で入浴し、とても気持ちよかった。
先週に引き続き、充実した山行に満足でした。
2006年8月26日(土)
朝、北陸自動車道の某SAで寝坊をしたが、馬場島のキャンプ場に7:00過ぎに無事到着。
途中のコンビにで買出し予定の朝食&昼食は、道を間違えたのか購入できなかった。
何とかなるだろうと8:30頃、歩き始めた。
無駄の無い急登続きで、汗ビッショリになりながら13:00にはテント場の早月小屋に到着した。
早速テントを設営し、汗を乾かして寛いだ。
小屋は、結構満員の様子で小屋前の広場は、沢山の人で賑わっていた。
早めの夕食後、直ぐに寝入っていた。
2006年8月25日(金)
今週末、何処に行こうかと話し合って、ピストンで行く剱岳早月尾根に決定した。
経費節減を目標にテント泊の予定です。
久し振りの剱岳、ワクワクしています。
2006年8月20日(日)
久し振り(甲斐駒:黒戸尾根日帰りピストン以来、約2ヶ月振り)に縦走に出掛けました。
場所は、積雪期に一度トライして撤退した唐松岳です。
ついでに不帰ノ剣から天狗山荘泊して白馬三山を経て白馬大池経由で栂池自然園まで辿りました。
無事に終えて筋肉痛ですが、充実感があり行って良かったと思いました。
2006年8月15日(火)
今日は初盆の送り火を済ませて一段落です。
13日に兄弟揃って迎え火ができました。法事も無事に済ませることが出来ました。
故人は、満足してくれたでしょうか?
2006年8月9日(水)
今朝の通勤電車で座って居眠りしていると、前に立っていた女性の濡れた傘が当たり、目が覚めた。
みていると腕に引っ掛けた傘は、ハンドバックで斜めに飛び出していて、周りの人達に当たっていた。傘は、濡れて雫が落ちていた。「気づいたのは、私だけかな?注意したほうが良いかな?」と、考えながらまた居眠りしていた。ふと、傘が床に付く気配で目が覚めて、薄目にして伺うと座り込んでいて傘を顔の前で杖代わりにしていた。近くに居た人が声を掛けると「次の駅で降りますから」と、駅に着くと人に支えられながら降りていった。20代の女性と思われたが、大事が無ければ良いなと思った。
2006年8月6日(日)
昨日からD山の会の岩トレ(三ッ峠)に参加しました。
先輩会員のレベルが高すぎて、不真面目な私はついていくのが難しかったです。出来れば易しいルートで確保練習などが出来ればと思っていましたが、そうは行きませんでした。課題山積の二日間になりました。
極度の筋肉痛にボロボロです。
2006年8月1日(火)
漸く梅雨が明けた。長く雨の多い梅雨だった。
九州に出掛けた7月前半、長雨で「悪い時に来たもんだ」と思っていたが、7月半ば過ぎには、1時間に50_を超え、24時間で600_を超え、累積降雨量が1200_以上にのぼる記録的な大雨になった。とんでもない被害が九州から四国、長野と各地に拡がっていた。
8月は、天気に恵まれることを祈っています。

2006年7月の日記
2006年7月30日(日)
つづら岩で岩トレ。D山の会の若手ホープと共に出掛けました。暑い日でした。雨が気になりましたが、何とか持ってくれました。下山してラジオで梅雨明けの報を聞いてうなづきました。
2006年7月16日(日)
昨日から大弛峠に行って来ました。
セッちゃん、希望の地で国師ヶ岳と金峰山を目指していました。
3連休で時間に余裕が有るとの事で、高速を使わず下道で行きました。国道299号線を辿り、佐久に抜けて廻り目平へ。そして、大弛峠を目指しました。
見積もりを大幅に越えて6時間弱のドライブになりました。
峠での車中泊は、天然クーラーに寒い位で、快適な一夜を過ごせました。
一夜明けた、今朝は雨の激しく降る天候で、無理せずに山行は、断念して来ました。
帰りに日高の保養センター?に立ち寄り日帰り入浴で汗を流して帰宅しました。
2006年7月1日(土)
梅雨の最中(サナカ)に小旅行に出掛け始めた。
期待している天候は、思わしくなさそうである。

2006年6月の日記
2006年6月30日(金)
今年も半年が過ぎた事になる。
早いものである。
残り半年を実り多き充実したものにしたい。
2006年6月13日(火)
今日「アラスカ〜風のような物語」星野道夫著を読み終えた。解説の大庭みな子さんの一節から。
【いわゆる冒険家には、自分の冒険を人に売るための冒険をする人が多い。(中略)本当の冒険というものは他人の目など意識することなく、非常用の無線機なども持たずに人知れず出掛けてゆく孤独な世界のものだろうと思う(中略)
彼らは自然を征服するなどという西欧風の大それた傲慢さは少しも持っていない。(中略)「デナリ」と読んでいた。「太陽の住むところ」あるいは「偉大なもの」という彼らの意味があるらしい。星野さんの作品には、原住民の持つのと同じ、その自然に対する敬虔さあるいは畏怖のようなものと、自然に対する親しみのようなものが一体になっているところが、人の心を惹きつけてやまないのだと思う。】
また星野さん自身の沖縄・竹富島でのコメントが印象に残った。
明日から「アラスカ 永遠なる生命」を読む予定です。
2006年6月10日(土)
御座山に行って来ました。オグラサンと読むそうです。陽射し対策を万全にして出発しましたが、薄曇になり杞憂に終わりました。
下山後、一寸したアクシデントに見舞われ、アタフタとしましたが、地元のオジサンに助けられて無事に復活できました。
静かな山行を期待していましたが、案外大勢の人に出会い驚きました。
2006年6月4日(日)
浅草岳を目指しましたが、どのルートを辿るかが悩むところでした。結局、鬼ヶ面山経由のピストンにしたのですが、大変な訓練山行になってしまいました。無事に車に戻りついた時は、ホッとしました。既に足腰は、筋肉痛に見舞われていました。
昨日と今日と二日とも天気に恵まれて、真っ黒く日焼けしてしまいました。肩と首がヒリヒリしています。
2006年6月3日(土)
三つ峠で岩登りの練習も計画されていたが、天気が悪い予想だったので、新潟方面に出掛けた。
今日は、守門岳に登ってきた。
二口Pから大岳分岐を経て青雲岳、守門岳(袴岳)1,537M。大岳分岐まで戻り、大岳を経て、保久礼小屋、二口Pと辿りました。
上部の豊富な残雪に驚かされましたが、アルプス的な景観に楽しめました。
保久礼小屋上部で残雪に紛れて谷筋に迷ったり、保久礼小屋から遠回りの舗装道路を辿る事になりました。
舗装道路からの守門岳の展望は、とても綺麗でした。
2006年6月1日(木)
5月の日照時間が例年に較べて少なかったようだ。
日本海高気圧と太平洋高気圧の位置と勢力の関係で梅雨前線が上下し、梅雨入りの様な天候が続いたためだそうだ。マッタリとした5月を終えて、6月は積極的に活動したい!と、思っているのだが・・・。

2006年5月の日記
2006年5月6日(土)
渋滞無く順調、5:00に自宅に着いた。
長い道のりに疲れたが、風呂に入って寝ると気持ちよく目覚めた。疲れは残っていたが、無事に旅を終えて、ホッと出来た。
お世話になった皆さんに感謝した。
2006年5月5日(金)
姪が自慢の愛車で「岩倉峡公園」に連れて行ってくれた。吊り橋があり、アスレチックジムもあって汗をかいてしまった。公園には、キャンプ場もあり良い所でした。
帰宅後にバーベキューでパーティして、夕方から酔って寝てしまった。
22:30に起きて23:00に川越に向けて出発した。
2006年5月4日(木)
今日は、鹿児島から三重県名張までの移動日。
朝早くから出発したが、到着は深夜となってしまった。
8:30に出発し、22:00に到着した。
2006年5月3日(水)
鹿児島市日之出町に姉家族が居るので、実家の両親と一緒にお邪魔した。再開された山川までのフェリーを利用した。
この日の夕食も、シシ肉と新鮮な魚などのバーベキューだった。炭火焼きは、美味しかった。
かつての子供達との賑やかなパーティは、過去のもので、沢山用意してもらった食材と飲み物は、殆ど手つかずのままだった。
2006年5月2日(火)
鹿児島の実家に移動する日である。
昨年行きそびれた道の駅にユックリと立ち寄った。
実家周辺の名所も巡りながら、ユックリと帰った。
到着後、近所のネッピー館で汗を流した。
この日の夕食もイノシシ肉の焼き肉だった。
2006年5月1日(月)
今日は、市役所に行って、色々な書類を作成してもらった。なかなか、難しかったが、対応してくれた職員は、懇切丁寧に応対してくれた。
高鍋にいるMさんに会いに行った。若い奥さんと幸せそうな様子に安心したが、話を聞いてみると色々と大変そうだった。披露宴を7月に予定している様で、再会を約束して別れた。
懐かしい宮崎市の街中で、少し買い物などをして都城に戻ることにした。時間に余裕があったので、一般道をユックリと帰った。
三股のWさん宅に寄って、久し振りの再会に話が弾んだ。
実家に戻ると焼き肉パーティの準備も整い、美酒と美味い食事で時間を忘れて、夜は更けていった。

2006年4月の日記
2006年4月30日(日)
この日、都城でKさんを訪ねる他、お墓参りなどを予定しているので、ユックリも出来ない。でも、M夫妻が、揃って8:30に出掛けるというのでお見送りをして、自慢の庭を見せてもらいユックリと旅立った。
多良木駅前の物産店や道の駅に立ち寄り、安い食材や珍しい特産品を楽しんだ。
高速のSAで、地鶏と黒豚の炭火焼きが売っていたので買って食べた、とても美味かった。
都城の道の駅にも立ち寄って、珍しい弓の名品?に驚いた。10万円以上する一品が売り出されていた。
墓参りも北墓地&東墓地を参り、お寺さんにも伺った。
セッちゃんの友人のK夫妻は、市内の運動公園で軟式テニス大会に出ているので応援がてら会いに行った。
お土産を沢山いただき恐縮した。
夜、友人のT君と牟田町の居酒屋で焼酎を酌み交わした。久し振りに会って、楽しい一時を過ごせた。
酔っぱらって実家に帰ると、従姉妹の婿殿Nさんが居て、初めての酒宴となる。最後には飲み過ぎて酩酊状態になり、いつの間にか床に就いていた。
2006年4月29日(土)
昨夜の深夜に出発して、渋滞無く順調に九州に上陸できた。一泊目を予定していた大牟田の叔母さん家は、昼食をいただき、従姉妹のY子さんに会って、多良木の友人Mさん一家を訪ね、宿を恋うことになった。到着後、Mさん夫妻と近くの温泉場で汗を流して気持ちよかった。帰宅後、旬の食材に箸も進み、美酒に酔いしれていた。流石に疲れて21:00には居眠りしてしまい早々と床に就いた。セッちゃんは、Mさん一家の熱い歓待に飲み過ぎ&夜更かししたのは、勿論の事でした。
2006年4月28日(金)
今日は、九州に向けて出発の日である。19:00に出発予定が、21:00になってしまった。波乱の幕開けになってしまう?
何はともあれ、狭山のステーキ亭で腹ごしらえをして、23:00に仕切りなおして出発した。
2006年4月5日(水)
花見に行った。はじめに喜多院に行ってみた。満開を少し過ぎた程度の会場は、沢山の人でお祭り騒ぎだった。
賑やかで一緒にと思っていたら、セッちゃんは場所を変えようと、自宅近くの公園で花見となった。昨年同様に静かでノンビリと花見に耽った。
2006年4月2日(日)
3月27日は、忘れられない日となった。それからの昨日までは、目の前の諸事に追われた。今日、漸くユックリとしている。
さて、今年の目標のアルプス、マッターホルン登頂の夢は、来年に持ち越すことになった。残念であるが、神様のお告げと想う。
今年は、国内の山行に専念したい。

2006年3月の日記
2006年3月20日(月)
朝の日の出は、雲も無く綺麗だった。山の方を振り返ると山頂に掛けて雲が付いていたが、気にする程ではなさそうだ。登山口迄異動して、8:00に出発した。
少しヒンヤリしたが、歩いていると汗ばんできた。万二郎岳で小休止、此処から先は、日が陰ると冷たい海風が身にしみてきた。万三郎岳は、山頂の木々が霧氷で白くなっていて、遠くから見ても趣が有り、登頂意欲が湧いてくる。最後の登りを終えて、10:00過ぎ山頂に立った。冬枯れた木々の枝を分けて見えた富士山は、時々雲を払い白い山嶺を美しく魅せてくれた。休憩後、展望にも恵まれないので早々と下山した。登り口の駐車場には12:00過ぎに到着できた。汚れた靴の泥をトイレの前の水道で洗って片付けた。
帰り道、道の駅で海の幸に舌鼓となる予定が、量と味に物足りなさが残った。道路は、あちこちで渋滞し、帰り着いたのは、21:00過ぎになってしまった。
2006年3月19日(日)
春の変わりやすい気圧配置に増して、強い低気圧が西から東に異動するため、予断を許さない状況のようだ。
今日は、登山口迄の異動だけしか出来ないと思い、ユックリと出掛ける事にした。
途中、凄い風が吹き荒れていて、陽射しは有るものの大荒れの様相を呈していた。(川越〜八王子)
厚木から先は、厚い雲が低く垂れ込めるようになり、時々落雷が発生し、時々雨も降り、益々荒れてきた。
小田原を過ぎて熱海辺りでは、雹が激しく降ってきたりして道路のあちこちで激流の川の様な状況になった。
漸く伊東の道の駅に到着し、天気予報などを確認すると明日は回復するようだ。
道の駅の温泉で汗を流して早めに就寝した。
2006年3月16日(木)
良く山行をご一緒するY.S氏が、浦和のエナジーに行って、フリークライミングを初挑戦されたそうです。 初トライで色々と得るものがあり、話したい事も沢山あるそうです。 次回お会いする時に、貴重なお話が聞けそうで楽しみです。
又、彼は、阿弥陀北稜に偵察に行かれるそうだ。 私は、彼から意見を求められた。 しかし、私には、とてもコメント出来ないと思っている。 私と彼の山行は、あくまでも一般縦走であり、アルパインスタイルのバリエーション・ルートではない。 一緒にパーティを組んだ事が無いし、室内&ゲレンデでの練習も無いのだから・・・。
何とも返事に困っている。 一応、私がD山の会の承認なしに北稜に行って避難されている事は、把握されているのだが・・・。
2006年3月15日(水)
D山の会の例会に出席した。 先日のTWALL:N氏と練習は、細かい事は抜きにして報告のみ。 例会終了後の懇親会でN氏が何時もよりテンションが高く、大きな声であれこれと話されていた。 今回は、9名が参加で反対側に座っていて良く聞き取れなかった。 私は、近くに座っていたI氏との話で先日のTWALL〜その後の食事の時の話しをした。 私自身新たな気持ちでD山の会に向き合っている事を伝えた。
さて、I氏によるとN氏は、以下の考えがある様です。
・アルプスでもガイドは雇わずに登攀する
・北鎌尾根も対象とはしていない
・谷川岳や剱岳等を中心に登攀する
・あくまでもアルパインのバリエーションを登攀する
だから、私の今年アルプスに再挑戦するのも「実力も無いのに早い」と思っているのかな?
2006年3月12日(日)
D山の会のN氏から電話があり「TWALLに行こう」と誘われて行ってきました。 前回のK氏との事もあったので出来るだけ爪先を使うように心掛けていた。 5.8迄は何とか行けるのですが、5.9になると途中で腕がパンプし、駄目でした。 N氏に声を掛けて下りようとすると、「もっとガンバレー!」と、一喝。 仕方なく再挑戦、暫くして「もう駄目です」と泣き言を言うと、「兎に角、上まで登れ!」 なんでも有りで最後の4M程をクリアして終了。 帰りに軽く食事をして色々と貴重な話を伺えました。 私の今の目標の山行は、D山の会には向かないとの事。 「他所の会に入ったほうが良いんじゃない?」って、チョッピリ淋しい想いに駆られた。 でも、やれる所までやってみようと思っています。
2006年3月11日(土)
至仏山に行こうと家を出掛けると、鳩待峠までの道路が冬期閉鎖されていました。 仕方が無いので日光白根山に転進しました。 丸沼高原スキー場に行って、ロープウェイを使って無事山頂に辿り着けました。 頂上付近で少し風が強く吹く所が有りましたが、陽射しが暖かく快適な山行でした。 展望も360度展開して少し春霞で遠くは霞んでいましたが、男体山、太郎山、女峰山や燧ケ岳、至仏山、平ヶ岳、会津駒ケ岳、武尊山と展望できて幸せでした。
2006年3月2日(木)
私の山行の姿勢は、あくまでも好きな縦走を四季を通じて楽しみたいと思っている。しかし、縦走するに際して天候の急変や事故などにより、窮地に立たされることも有るかも知れない。そこで、ある程度のバリエーションルートでも安全に登攀できる技術は、身に付けたいと考えている。それは、決して、どんな所でも登攀できる技術の習得ではない。その目安としては、夏の北岳バットレスを安全に登攀できる技術習得を目指している。(第四尾根程度)
前穂高岳北尾根(夏)、北穂高岳東稜(夏)などである。
決してバリバリのロッククライマーやフリークライマーは、目指してはいない。
今のところは。
2006年3月1日(水)
寒かった2月も終わり3月に入りました。例年なら雪も締まってきて冬山に繰り出すぞー!と、なるところなのですが、今年は豪雪で雪崩の危険が大きいようです。地域差はありますが、気をつけて取り組みたいと思います。
さて、本日の出来事でK氏の談です。(TWALLにご一緒)
・先日の北稜は、運が良かったのではないか
・どういう判断で行く事にしたのか分からないが未だ無理ではないか
・TWALLでの登りで爪先で登っていない
・爪先で登れなければアイゼンでの冬季岩稜登攀は出来ない
・ゲレンデなどでアイゼントレを数多く経験し、相互に信頼できないと駄目です
と、ざっとこんな事を言われました。
「ハイ、その通りですね」と、言っておきましたが、本心は、久し振りのフリークライミングを楽しみに行っただけだし、北稜では太股の他、脹脛及び同外側の筋肉やアキレス腱に非常な疲労が有りました。これ等は偏にアイゼンの前爪を駆使しての登攀を行ったからだと自覚していたのですが、聞く耳を持たぬという姿勢が感じられ残念でした。
TWALLでもアイゼン着けてるつもりで登ってみろ!って、言ってくれればそのつもりで登ったのにと、思わずにいられませんでした。
でも、その場で事を荒立てて議論しても仕方ないかと黙っていました。

2006年2月の日記
2006年2月27日(月)
昨日の疲れで肩と腕の筋肉痛が酷いものです。
足には殆ど疲れがありません。腕だけで登ろうとしている証拠ですね。
2006年2月26日(日)
TWALL錦糸町店に行った。D山の会のK氏と同伴した。
久し振りのフリークライミングで未熟さが浮き彫りになった。リードでは、なんでもありで一本終了点まで辿り着くが、5.06程度の課題で2/3までしか到達できなかった。握力が無くなり腕もパンパンでダウンした。
K氏は、持参した9oシングルロープに感心していた。
帰りには、早くも腕や肩の筋肉痛を感じ始めた。
2006年2月18日(土)
今日は、阿弥陀岳北稜に日帰りで行ってきました。昨夜の内に美濃戸まで入り仮眠し6:30に出発しました。行者小屋を9:00には出たかったのですが、ハーネス、アイゼン等を装備すると9:30に漸く行動できました。
下部の夏道から沢沿いに詰めていきますが、出合付近ではすり鉢状で上部からの雪崩がまとまる状況で、少し上部を高捲きするようにしました。ジャンクションピークに続く稜線への登り地点を高捲きからクロスし素早く抜けて登りました。その後の稜線上も一般道に比較し傾斜があり、難儀しながら登りつめました。
第一岩稜下部の急な稜線(潅木有り)は、急な雪面でやばそうなのでロープを出して確保して登りました。この後は、第二岩稜終点部のナイフリッジ上部の傾斜の落ちた雪面までロープでしっかり確保しながらの登攀でした。
最初の潅木交じりの急な雪面でロープの操作で少々手間取りタイムロスしましたが、その後の第一岩稜〜第二岩稜は、そこそこに抜けられました。
阿弥陀岳山頂への雪面は、疲れていたので相当の亀足でした。何とか山頂に辿り着き、展望に恵まれ幸せでした。
下山は、夏道で文三郎道を辿りました。中岳と文三郎道までの登りは、特に辛かったです。
何とか行者小屋に17:00、美濃戸に18:45に辿り着き、急いで家路に着きました。道路は、渋滞も無くスムーズでした。
無事に「氷壁」を見る事が出来ましたが、楽しみにしていたのに内容にがっかりしました。
2006年2月15日(水)
バリエーションルートを安全に登攀できるようにレベルアップしたいと思っている。しかし、如何なる事か。個人的に少しずつアップを図るのか、未だに悩んでしまう。当分は、二足の草鞋を履く形で頑張ろうと思う。
2006年2月11日(土)
午前10時半ごろ、八ケ岳の硫黄岳(2760メートル)に近い赤岩ノ頭付近で大規模な雪崩が発生して、登山者が巻き込まれたと昼のニュースで速報していました。夜には、詳しい情報も得られ、登山中の2パーティー計8人が巻き込まれ、4人が足を骨折するなどの重軽傷を負ったとの事。自力で下山した5人以外の3人は、長野県防災ヘリなど、ヘリコプター3機で救出されたようです。折りしも、行こうかと考えていただけに複雑な気持ちになりました。
2006年2月9日(木)
専修大のパーティは、無事に救助されたようです。
良かったですね。
asahi.com:
http://www.asahi.com/national/update/0209/TKY200602090252.html
2006年2月8日(水)
阿弥陀岳で専修大山岳部の3名が山中で身動きできずに救助を要請している様です。6日(月)に阿弥陀岳北稜から山頂に着き下山時に同行していたOBとはぐれて行者小屋で待っていたOBとは合流できず、反対側に下りてしまった様です。無事の帰還を祈りたいと思います。
asahi.com:
http://www.asahi.com/national/update/0208/TKY200602080471.html
2006年2月3日(金)
最近のテレビでNHK「日本の名峰 〜あなたのおすすめはどの山ですか〜」を見た。BS1で1月28日(土) 19:30〜21:30に放送された。私達は、楽しく拝見させていただいた。しかし、身近な山仲間から何ら反応の無い事に寂しさを覚える。
氷壁に対しても同感である。良い悪いは、別にして話題にのぼってこない・・・。
2006年2月1日(水)
早くも2月に入りました。
某D山の会の例会に顔を出しました。取り敢えずアルパインに親しみたいと思っています。

2006年1月の日記
2006年1月31日(火)
早いもので1ヶ月が過ぎようとしています。
1/12が過ぎようとしているのです。
2月は、頑張りたいと思います。

※問題の次男坊が久し振りに顔を見せてくれました。彼女とも上手くやっている様子で一安心でした。
2006年1月22日(日)
天候不順の上、休日も上手く取れないために先週に引続きマッタリの週末になりそうだった。
前日の降雪も大した事は無く、快晴の朝を迎えた。
何処に出掛けるかと決めずに服を着替えたり準備をしていると、筑波山に決まっていた(??)。
ドライブがてら出掛ける事にした。古河市内を抜けて田圃に囲まれると筑波山が見えてきた。中々カッコいい!!
漸く筑波山神社の市営駐車場に到着し、出発したが13時頃になっていた。ケーブルカー乗場の横から登山道に入り登り始める。樹林帯の中で日陰とはいえ風の無い好天で直ぐに汗ばんできた。ケーブルカーの駅は、男体山と女体山の間の広いコルに位置していた。休まずに男体山山頂に登り頂上で小休止。持って行った缶ビールが美味かった。展望も良かった。遠くは春霞で見えなかったが、周囲に山が無いので下界の展望が素晴らしい。
女体山を経て弁慶小屋迄は、奇岩・胎内潜り等が沢山有って面白かった。弁慶小屋から筑波山神社までは飽きる下りでした。漸く人家に辿り着き、アイゼンを外すと神社までの数十Mの道路が路面凍結してヒヤヒヤした。
中々面白い山行でした。
2006年1月9日(月)
新年明けましてオメデトウございます!今年も宜しくお願いします。(いろんな人に)
新年の山行は、7日〜9日で稲子湯温泉から入山し、一泊目本沢温泉、2日目本沢温泉から夏沢峠に登り、荷物をデポして硫黄岳ピストンし、東天狗岳経由で黒百合ヒュッテ2泊目しました。2日目が冷たい強風で顔面を軽い凍傷に見舞われました。指も相当悴みましたが凍傷には至らずに済みました。3日目余りの好天に天狗岳に登り返し東西両峰を踏め満足でした。ニュウ経由予定をミドリ池に最短コースで下山し稲子湯で温泉に揺れました。
本沢温泉で一風呂、黒百合ヒュッテでは暖かな眠り、下山後の一風呂とユッタリとできた山行でした。