わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

第1部 北鎌讃歌

   北鎌尾根を行く
                        相田  浩

   もうトシだから・・

 今回の北鎌尾根行きは、なんとなく気乗り薄であった。昨年の貧
乏沢経由の北鎌尾根行きが、せっかく北鎌沢までたどり着きながら、
朝方の雨天に災いされて変更を余儀なくされ、天上沢から水俣乗越
へと逃げざるを得なかったことで気がそがれていた。天上沢から
時々垣間見た北鎌尾根の片鱗も、身近かに見えたこともあって、誘
い込まれそうな興趣を感じさせなかった。
 それにもうトシだ。これまで、大学時代から東京近辺の山々をは
じめ、けっこう数はこなしてきた。大学の時は、体育の科目に「山
岳」を選び、夏休みに上高地(徳沢園)でキャンプをし、一日目は
槍ガ岳(槍沢)まで往復、二日目は奥穂高岳(涸沢)まで往復した。
槍ガ岳の頂山に登った時は、台風一過の日本晴れで、遠くに富士山
   (山頂?)
が見えた。奥穂高岳の時は、雨だったように思う。キャラバン
シューズを履いていたので下りがきつく、足指の先が靴に当たって
猛烈に痛かった。
 そんなわけで、槍ガ岳への想いはずっとあった。去年は、北鎌尾
根は登れなかったものの、水俣乗越から、東鎌尾根(表銀座縦走
路)を通って槍ガ岳と再会できた。おまけに、槍ガ岳から大喰岳、
中岳、南岳、北穂高岳、涸沢と三千メートルの雲上の稜線を歩いた。
あの恐ろしい大キレットのスリルも味わうことができた。
 三千メートル級の登山を経験したのはこれが四回目。あと二回は、
一昨々年の立山・剱岳北方稜線行と、一昨年の剱岳・三ノ窓雪渓行
である。そのほか、丹沢、秩父、奥多摩などの低・中級の山々は数
多く歩いた。従って足腰も相当鍛えられたと思っている。
 ところが、ここ二、三年は下りがかなりきつい。昨年の涸沢の下
りは相当こたえた。日常生活でも、例えば地下鉄の駅の階段を下り
る時など、時々膝がガクガクする。どうも膝の関節の調節がアブラ
不足でうまく機能しないようだ。これからは、あまりハードな登山
はできないなと考えていた。
 そんな折柄の今回の北鎌尾根行である。待ちに待った山行という
ことではけっしてない。それに、かなり危険な場所がある。いやそ
んなところはないなど、情報が混乱していて、不安な気持ちもよ
ぎった。
 「まあ、いいさ。死ぬようなことがあるかも・・・・。三千メートル
級の山行にはいつも危険が伴うが、慎重にやろう」。そう自分に言
い聞かせて、八月二十六日(金)、新宿発のアルプス号に乗った。

  アクシデントが起こる

 初日、八月二十七日(土)の朝は信濃大町駅で迎えた。寝不足の
上に下痢気味で、気分上々とはいえない。水曜会の帰りに「なか
た」に寄って、四時ころ帰宅したが、暑苦しいのでクーラーをかけ
たまま寝たので体が冷えたらしい。「なかた」の悦ちゃんが、捜し
求めていた結婚相手が見つかったというような話をして、ついでに
”私が厳しすぎる”とか話していた。ちょっと寂しい気がした。
 信濃大町からは、篠宮さんの手配で、東京電力の高瀬ダムの施設
を案内するマイクロバスが七倉のずっと先、高瀬ダム湖が高瀬川に
つながる車道終点まで送り届けてくれた。これで時間を随分稼げた。
体力の消耗を防げた。
 途中で、七倉で先行していた大阪の原田さんを拾う。一昨々年の
剱岳北方稜線、昨年の槍ガ岳〜北穂高岳と二回山行を共にしたなつ
かしい顔があった。
 硫黄の混入でエメラルドグリーンと化した高瀬ダム湖を後にする。
このダム湖は、マス、コイなどの魚を放流しており、釣りができる
という。高瀬川右岸沿いのよく整備された山道で、足慣らしをしな
がら湯俣まで入る。吊橋を渡って対岸にある晴嵐荘の前でひと休み。
露天風呂があるが、湯量が少なくて入る気になれない。宿の主人の
話では、北鎌尾根では近年事故は起こっていないという。その話を
聞いて、やや気が休まる。
 湯俣川と水俣川の合流する湯俣水俣出合を水俣川に道をとり、そ
の左岸を千天出合まで歩く。かなり深い渓谷をなしており、所に
よっては、滑りやすい岩場があったり、岩壁にかけてある桟橋が半
壊していたり、吊橋が傾いていたりして、注意を要する。
 途中の岩場で、リーダーの坪山さんが無理に岩場に登ろうとして
右腹をひねり気味に打ったという。この事故が原因で坪山さんは、
翌朝の北鎌尾根行きを断念せざるを得なくなる。下山後の医者の診
断によれば、胸部の一部の骨が外れたのだという。坪山さんのよう
なベテランにもこのような事故が起こるのだ。山登りは慎重にやる
にこしたことはない。
 先天出合(千丈沢と天上沢の合流点)から天上沢をさかのぼる。谷
間も狭まり、水勢も速まる。先天出合から天上沢の右岸をしばらく
歩き、左岸に渡る。ここは橋がなく、丸太が一本架けてあった。篠
宮さんが真っ先に器用にバランスをとりながら丸太の橋を渡り終え
たが、残りの人たちは靴を脱ぎ、丸太につかまりながら渡渉。ここ
でまたもやアクシデント。篠宮さんの息子の雪来君が、川を渡る時
に持っていた靴の一方を川に落としてしまったのだ。靴はアレヨア
レヨという間に激流にのみ込まれてしまった。あきらめたと思いき
や、ジッと渕を見詰めていた雪来君、サッと手を伸ばして、一瞬川
底からわずかに浮き上がってきた靴をつかんだ。その眼力の鋭さと、
物を大切にする中国人の心を一同称賛。
 実際、こういう場合はどうしたらいいのだろうか。片足はハダシ
というわけにもいくまい。同行の伊藤さん(坪山夫人)によれば、
靴をなくした場合、予備の靴下をかき集めて、何足も履いて、足に
巻きつけて靴の代替をさせるとよいそうだ。なるほど。
 天上沢の左岸の道は危険な場所はないが、クマザサなどが生い
茂っていて歩きにくい。だんだん暗くなってきたが、去年下った貧
乏沢までなかなか着かない。重い足を運んでいると、河原で滑って
転んだ。やっと、なつかしい貧乏沢が見えた。去年の思い出にひた
る余裕もなく、さらに歩きつづけると、やがて北鎌沢の出合。去年
は流れていた沢の水が今はないというので、少し手前の河原の台地
でビバーク。
 テントを張って、水を汲んできて、篠宮さんの中国みやげのバイ
カルや、原田さん持参のウイスキーを飲みながら、食べ物を口に運
ぶ。そうこうしているうちに九時近くなっただろうか、山の冷気で
体が震えてきた。篠宮さんが持って来たテントに潜り込ませてもら
う。三人だと寝るのがかなりきつい。昨夜は車中で寝たので眠りが
足りなかった。寝返りを打ちながら朝までウトウトとしていた。濡
れた衣服を着たまま寝たが、寒くはなかった。衣服も寝ているうち
に体温でかわきはじめた。

  槍ガ岳直下のビバーク

 第三日目。八月二十八日(月)。いよいよ北鎌尾根への挑戦だ。
坪山さんは、きのうの事故で体調が回復せず、「北鎌尾根には行け
ない」と言う。夫人の伊藤さんがついて、去年われわれが下った逆
のコース、つまり貧乏沢〜大天井岳〜燕岳〜中房温泉をたどるとい
う。後日談によれば、貧乏沢の上りは、予想以上の苦労があったよ
うで。本沢の選択に難渋したという。
 伊藤さんは再度日を改めてこの逆コースをたどり、貧乏沢を赤
いテープで目印をつけながら下り、北鎌沢の途中でビバーク、翌日
北鎌尾根を踏破して槍ガ岳に単独登頂し無事下山されたが、その執
念、勇気、体力には驚いた。脱帽したい感じである。このぶんだと、
いずれ山の魅力にとりつかれて危険をおかすのではないかと心配だ。
 北鎌沢は登りやすい。体調は、下痢の後遺症と寝不足で良くない。
きのうの沢歩きは厚手のシャツを着ていたこともあって蒸し暑かっ
たが、きょうはランニングシャツ一枚だから涼しい。途中で沢の水
を飲みながらゆっくり上る。時々ふり返って高度を確かめる。東鎌
尾根の稜線に並ぶまで登るには、まだかなりある。二俣を右俣に
入ったあたりから陽が照りつけ、肌を焼く。草付きの登りで、心臓
がドッキン、ドッキン。やっと北鎌沢をつめコルに出た。
 これから北鎌尾根の縦走だ。ダケカンバやハイマツの稜線を上
がったり、降ったり。かなり急だ。いやに眠い。北鎌沢のコルから
独標まで時々睡魔に襲われる。これはいかん、慎重にと自分の体に
言い聞かせながら歩きつづける。
 いよいよ独標だ。独標は、剱岳の前剱のように、槍ガ岳の”子
分”然としてその姿を見せた。千丈沢側のトラバースは、踏み跡は
かなりはっきりしているものの、ヒャッとするようなところが何ヵ
所かあった。私にとっては技術的に難しいところはなかったが、慎
重に慎重にと歩を重ねた。
 ゆっくりしすぎたのか、槍ガ岳直下に迫りながら日が暮れてし
まった。北鎌平の下のガラ場のわずかな台地を見つけて、ビバーク。
寒さを予想して、できるだけ重ね着をして寝袋をかぶる。ところが
意外や、あまり寒くならない。隣にやはり着膨れて寒さに備えて
いた原田さんも「寒くない」と言う。「寒くなったら、眠り込まな
いように、話し合いながら夜を過ごそう」と最初二人で話し合って
いたが、その心配はなさそうだ。
 千丈沢を挟んで向こう側の硫黄尾根が月光に照らされて、山肌の
一部を冴えわたらせている。星も近い。アッ、流れ星だ。
 眼下に雲がゆっくり流れ去る。天下の槍ガ岳の真下にいるんだな
あと感激する。
 幻想的な硫黄尾根の月と星に照らされている山肌を見ていると、
ウトウトしてきて、ついに眠りに引き込まれていく。用心のために、
体をロープで岩に巻きつけていたが心もとない。眠り込むたびに
ハッとして目を覚ました。

  叙情的な山登りを

 四日目。八月二十九日(月)。昨夜は雨も降らず、風にも吹かれ
ず、意外に温かい朝を迎えた。「バテた」と言って、きのう食料の
一部を捨ててきた篠宮さんがそれを拾いに行くと言って出かけた。
ところがなかなか帰ってこない。心配した。道を間違えて、ガラ場
を相当下ってしまい、登りに四苦八苦したらしい。
 気をとりなおして、目の前にそびえ立つ槍ガ岳の頂上を目指す。
雪来君はきのうのうちに頂上を極め、昨夜は槍ガ岳山荘に宿まった。
朝、心配して槍ガ岳頂上から声をかけてくれた。急傾斜の岩塊だ。
それまでゆっくり歩いていた原田さんは気味悪がって「早く登り切
りたい」と言う。
 ガラガラの岩の上を伝って、大槍の根本から登り詰める。チム
ニーを登ると、三、一八〇メートルの絶頂に立つ。さすがに気分が
いい。
 一般ルートから登ってきた登山者たちが怖そうにわれわれが上っ
てきた方を見下ろしている。私が山頂に飛び出した時はそうではな
かったが、次に原田さんが頂上に達した時には、はからずも頂上に
いた登山者が一斉に拍手をした。それにこたえた原田さんの第一声。
「だまされ、だまされて、やっと登りました」。
 原田さんは下山後、伊藤さんに電話で「あの山は女の登る山では
ありません」と語っていたというから、こんどの北鎌尾根行は相当
きつかったのだろう。男の私でさえ、ホントに怖かったです。原田
さんも言っていたように、これからは叙情的な山登りをしたい。こ
んどの登山がその分岐点のような気がする。      編集者>
                  (昭和六十三年十月十日)