わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

第1部 北鎌讃歌

   私の槍ヶ岳
     −−−北鎌尾根登山の思い出

                        楊  雪来



 今年の夏、ぼくと父の登山グループあわせて六人、一緒に槍ガ岳
へ行きました。
 八月の下旬のある日、みんなで新宿駅に待ちあわせしました。そ
して南小谷行の電車に乗って北アルプスに向かって出発しました。
この電車は夜行なので、よく日のあさ5時30分ごろ信濃大町駅に着
きました。それから東京電力の小バスに乗って、高瀬ダムの一番奥
のところへ行きました。
 バスを乗り終わったらちょっと休憩して、このあとは、川に沿っ
て歩くばかりでした。

 ぼくは初めてこんな重いザックを背負ったので、最初は慣れるこ
とができず、背中がずっと痛くて、やっと湯俣の晴嵐荘に着いた。
みんな写真を撮った。ぼくも背中の荷物にちょっとなれた。痛みが
少し消えた。たぶんビールのせいかなぁ。
 晴嵐荘からずっと谷川に沿って歩いた。きついところが一っぱい
あった。たとえばほぼ九十度の岩壁を渡るとき、ロープ一つだけで
渡るわけ。これは、あるところは道がない。自分で探さなければな
らない。
 坪山リーダーは道を探すために、自分は一番あぶないところを
登った。そこはとても滑りやすいので、腹部を岩に強く打ち負傷し
た。
 ぼくには、とてもきつかった。今度の登山コースは、登山初心者
としていえば”大学院”でした。ぼくは、登山はまだ一年生でした。
だから、ぼくにとっては厳しかった。自分でもずいぶん注意したが、
でもミスがあった。



  あっ、激流にキャラバンシューズが!

 天上沢キャンプ地に近いところ、激流の川を渡るところがあった。
みんな登山シューズを脱いで渡らなければならない。
 ぼくもみんなのように、シューズを脱いだ。ところがこのシュー
ズをザックに結ぶとき、ぼくは軽く結びつけた。そして川を渡ると
き、川の真ん中にシューズを一つ落とした。
 あの時ぼくはまったく自信がなかった。シューズがないと、どう
やって槍ガ岳を登るのかと思ったとき、父は「もう流れてしまった。
探さなくてもよい、くつしたをいくつもはいて山を登ろう」と言っ
た。でも自分は、探せば必ずある、という気持ちがあった。
 対岸についてから、ぼくはシューズを探し始めた。川を渡った地
点の下流10mぐらいのところで、黒っぽい物が川の底に沈んでいる
のが見えました。その物のうえには、なにか赤い丸が見えた。「あ
れは、ぼくのシューズの商標だ!」ぼくはおもいきり叫んだ。
 木の枝を探して、シューズを川の底から上げようとしたとき、
シューズは自分で浮かんできた。ぼくは、一生懸命にあいつを捕え
た。よかった! でもシューズはもうびしょびしょ。足にはいたけ
ど、すごく寒かった。気持悪かった。仕方ない、シューズは無事に
戻った。もう十分だ。
 あの時、小雨が降った。ぼくのジーンズのズボンもびしょびしょ
になった。あの夜、みんな北鎌沢出合い下の天上沢のキャンプ地で、
テントを張って眠った。ぼくはとても、眠れなかった。寒くて、そ
してあしたはびしょびしょのズボンをはいて、北鎌沢を登るなんて、
それらを思いだすと眠れなかった。
 翌朝、坪山リーダーは負傷のため、夫婦で一緒に早く帰ることが
決まった。天上沢で私たちは別れた。坪山おじさん夫婦は貧乏沢を
登って、そして一晩山小屋に泊ってあした帰る。
 ぼくと父、あと原田さん、相田さんの四人で、目的地へ向って出
発した。



  北鎌沢は厳しくない、稜線から
  独標までは45度!

 いよいよ北鎌沢を登るんだ。北鎌沢は厳しくないけど、でもなか
なか体力が必要だった。ぼくは最初一番後、だんだん真ん中に、最
後は四人の列をリードした。北鎌沢の登りは4〜5時間ぐらいか
かったかな。一番上の、テント地(注・コル)で少しやすんで、再び
出発した。
 北鎌沢の頂上のテント地から独標まで、登りはほぼ45度。みんな
ハイマツにつかまって、一生懸命に登った。ぼくには、ここは一番
あぶないところと思われた。父はぼくの前を登っていました。
 突然彼の足が滑った。でもハイマツをつかんでいたから無事だっ
た。が、後からそれを見ていて、全身から冷汗が出た。手のひらか
らも少し出た。「あぶなかった!」ぼくは声を出さずに何回も言っ
た。

 原田さんと相田さん、さすがにベテラン、ぜんぜん平気でした。
原田さんは、いつも一人で山をたくさん登っている。うらやましい。
 相田さんも学生時代、上高地から槍ガ岳まで、そしてその日にま
たもどって往復。翌日は穂高までまた往復したそうだ。なんと一日
で。これはおどろいた。
 三人のベテラン登山者と一緒に山を登るので、ぼくは安心だった。
あぶなかったところもいっぱいあるけど、なにも心配ない。でも自
分も自信満々だ。
 独標から槍までの途中で、みんなの水筒の水がだんだんなくなっ
てきた。休憩の時、一人一口、とても節約。あの時ぼくは、いやみ
んなもビールが飲みたかった。
「これから、ぼくは先に行っていい?」と父に聞いた。「大丈夫か
なぁ、君一人ではあぶないよ」とみんな異口同音に言った。「大丈
夫です、ぼくは十分に気をつけるから、信じてください!」。そし
てぼくは一人で先行した。



  頭の上に白い目印があった!

 天気がだんだん暗くなった。なぜか−−日暮れじゃない・・・・山の
上に雲がいっぱい飛んできた。日差しも見えなくなった。ケルンと
目印のおかげで進んで行く。山の上で、雲はぼくを囲んだ。まるで
地獄みたい。ぼくの自信もだんだんなくなった。
 そこで、独標で出遭った青年に再び会った。二人は互いに声をか
け合って、槍の頂に向って登りはじめた。まわりは風の音と、雲だ
け。寂しいということを感じた。「もうすぐ頂上だ、頑張れ」自分
で自分に話し掛けていた、バカみたい。
 その時、ぼくの頭の上に大きな白い目地があった。でもそのむき
は、下をむいていた。これは、どういうことですか?
「あっ!」とつぜん、ぼくはわかった。まさか−この目印の上は頂
上?
 ぼくは急いで目印にそって、頭を上に出した。目の前に小さな神
社があった。近づいて見ると、この小さな神社の上に「槍ガ岳31
80m」と書いてあった。「これは頂上だ」その時、ぼくはとても
泣きたかった。でも泣かなかった。

 その時の気持が、どういうものか、言葉では言えない。いまでも、
わからない。ぼくは自分の力で、日本で四番目に高い山を征服した。
そこでぼくはいろんなことを考えた。思った。山登りは、人の性格
を改変することを、ぼくは信じた。
 突然ぼくは、あの青年を思い出した。(彼は、まだ後ろにいる、大変だ。
この時太陽はもう沈んだ。登り道が見えなくなった。あぶない!)
 ぼくは、山の下に声をかけた。彼の返事も聞こえた。「大丈夫」
だって・・・・。20分ぐらい後、彼は登ってきた。
「父とあの二人を見なかった?」と聞いた。「声だけが聞こえたけ
ど、姿がぜんぜん見えなかった」と答えた。(−−どうする・・・・?、
こんな時間ではもう登れない。)ぼくは心配した。(でも彼ら三人
は、なんとかするかもしれない)と思った。



  一気に三缶を干す

 「俺は今晩、槍肩にある山小屋で寝るから、降るぞ」とあの青年
が言った。そして彼は降りて行った。
 その時ぼくには、父の声が聞こえた。たしかに遠くない、すぐ頂
上に登れるような気がした。「早く登ってくださーい!」ぼくは、
山下に向いて叫んだ。
「もう見えないよ−−われわれは、今晩下で寝るから、君早く降っ
て山小屋で待ってて−!」と父が大声で叫んだ。

 ぼくは、頂上から降った。山小屋に着いたのは夜の7時ごろだった。
 そこで坪山リーダーから電話があったことは、山小屋の人から伝
えられた。二人とも無事に山小屋についたと。(よかった、でも、あの
三人はいま何をしているのか?)ぼくは彼らが無事であることを祈った。
 山小屋でぼくは、ジュース二缶、ビール一缶を一気に飲んだ。の
ど乾いたよ−−あの晩は、ぼくぐっすりと寝た。
 翌日朝九時ごろ、父たち三人は登ってきた。山小屋の前で、四人
は握手した。そして今度の登山成功を祝って、ビールでかんぱいし
た。「よかった、みんな無事だった、今度の登山は、とても楽し
かった」とぼくは思った。
「槍に肩の小屋から、上高地までずっと下り、これからは楽々だ
ねぇ」−−みんなザックを背負って、上高地に向って出発しようと
したときに、ぼくは槍を見て、「さよなら、槍ガ岳、ぼくはまたく
るぞ! 二回三回・・・・君を征服することができる」と誓った。そし
て四人は下って行った。だんだん槍の姿が見えなくなった。そして
消えた。                      <学生>
                   (88・12・11勿勿千筆)