わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

第2部 劔岳鑽仰(サンギョウ)
(E872)

   出 会 い
    人と山と酒
                        高橋 民枝


 登山・・・・かすかな痛みと懐かしさが胸をよぎる。
 初めての登山は決して楽しく愉快なものではなく、一つの決別を
判然と知る為の一歩一歩の旅程であった想いがする。
 今、その頃を語ろうとすると物語じみて気恥ずかしい気持である
が、もう一度心の奥底から想いを馳せてみるのも、私という人間を
自分がよく知るための良い機会ではないかと思う。

  訣れと出会い

 昭和五十五年十月、獣医であった恋人が一年ほど患った後、癌で
逝った。患い乍ら死の三ヶ月前まで、優し過ぎる治療をしていた姿
が懐かしい。
 以前の私は良い年をしながら全くのネンネで、ただその人の存在
だけで輝いていたように思う。
 小説や作家の話をいろいろ聴いた。坂口安吾や織田作が好きだっ
た私は、今考えると稚拙な意見をのべた記憶があるが、彼も自分の
感想を話してくれた。
 ポンコツ車で旅もした。
「オメエハドコヘタビシテモ、スグワスレルダロウナ」・・・・なんて
声がふっと蘇って来る。

 恋人の死は私の心をズタズタにしたが、職場では忙し過ぎる仕事
が有り、モーレツに働くことだけが救いであった。
 性格からか、職場では冗談も言い、人を笑わせもしたが、アパー
トに帰れば涙ばかりの二年。目の縁は爛れてしまい、鏡には以前の
明るい顔とは別人の、不幸な顔が有る。

 職場で恋人の死を知っているのは三人居たが、この内の若き教師
が私を救った。
 五十七年九月、彼の勧めで車の教習所へ通い始めた。上司に依頼
し、抜け出した時間は残業で返すことで許可され、三時間抜ければ
三時間一人で仕事をした。仕事と車で、他の事を考えている余裕は
なく、勿論アパートでも仕事の予定をたて、車の勉強をした。
 十月免許取得。
 上司が、今でも「あの頃は凄かったね」と言ってくれるから、多
分形相も凄かったのではないかと、今思わず苦笑するが、精神的に
ほぼ立ち直ったのはこの車のお蔭であり、若き教師のお蔭であった
と、人との出会にも恵まれたことに感謝している。

  山−−岩と風と小鳥と

 さて、山との出会い、これもこの若き教師の導きであった。
 車で元気が出て来た私は、十一月、山梨県の瑞牆山へ挑戦。登山
は初めてだから、聳えるゴツゴツの岩山に登り切る自信はなかった
が、一歩一歩登り始めた。これが前に書いた決別の登山である。
 私は禅宗の寺の娘であるが、一度も坐禅で無を感じたことはない。
勿論、修行をしたこともなく、娘であるが故に、坐禅を強いられた
こともないが、機会あるごとにチャレンジしてみても妄想ばかり
だった。
 しかし登山では一つの経験をした。十分程休憩する事にして岩に
腰をおろした。
 山の冷気に汗ばんだ肌を包まれ、しばらくうっとりとしている心
身に涼風が木々の枝を渡って来た。小鳥がさえずっている。そのう
ち、風は私の身体を通り抜けた。小鳥のさえずりが私の身体を通り
抜けた。まるで透明な身体のように自然は私を通るのである。
 自然と自分がまさに一体となった。私というものは存在せずただ
自然であった。
 山の岩か、風か、小鳥か−−後で思えば、「無」とはこの時の瞬
間に感じたようなものだろうか。これが無であると言えば修行な
さった方々にお叱りを受けるだろうが、この経験を通し、坐禅での
「無」はありうるのだと信じるようになった。
 何とも得難い大安心の一瞬であった。
 再び登り始めた。あと一時間はかかるかなと若き教師が言う。無
言で登った。
 岩の間から一羽の小鳥が顔を出した。小鳥はチョコチョコと我々
の前を行き、しばらく姿を消したと思うとまた現れる。道案内をす
るかのように、時々我々をふり返って行く。
「あれ、お兄さんかなあ。天国から私に会いに来たのかしら」
「そうかもね」
「きっとそうだね」
 我々は小鳥に案内されて岩山を登った。頂上まで、二人と小鳥以
外誰にも会わない登山だった。山頂で小鳥は我々のすぐ近くで遊び、
我々と一緒にパンを啄んだ。
「会えて嬉しかったよ」
 若き教師もただ小鳥を見つめていた。
 青い青い十一月の空であった。
 下山にかかると小鳥はまた先にたって、チョコチョコ降りて行く。
二十分程、そうやって小鳥は我々と共にあった。
「私はもう大丈夫、元気になったよ」と、心の中で呟いた。
 我々はしばらくこの不思議な小鳥の話をし乍ら降りて行ったが、
小鳥はそれっきり二人の前に姿を見せなかった。
 下山すると、私は山の頂きにむかって別れを告げた。
 恋人はもう決して人間として私の前に現れてはくれない事を、こ
の時やっと納得出来たのである。
「さよなら!」と言った。涙が流れた。
 若き教師は肩を叩いて「良かったね」と言ってくれた。
 素直に素直に「うん」と言えた。

 その後も日帰りばかりの登山であったが、職場の仲間と楽しい登
山をした。
 妙義山、甘利山、乾徳山、百蔵山、扇山、雪の三ッ峠、思い出深
い山々である。
 五十九年になると仲間は殆ど結婚し、時間的にも合わず、山とは
縁がなくなった。どんなストレスも悲しみも吹き飛ばしてくれる山
への憧れは、いつも心にあったのだが・・・・。
 少々淋しい私であった。



  出会い

 翌年、再び人との出会い。高校時代の剣道部の後輩であるN君
(今は書道の大家)との再会により、中野の酒場「千代」を知る。
 この店のママの人柄に魅せられて、たまたま一人でふらっと立
寄ったのが水曜日で、この日は次から次へと人が集まり、先に一杯
やっていた私は、今日は客の多い日だな・・と思った。
 これが「水曜会」という、二十年も続いている先輩諸兄の集いで
あったのを知る。
 たまたま近くにいらっしゃった方と話し、山の仲間の集いである
のを知り、私の心にいっぺんに灯がついた。剱という山に毎年登ら
れているとの事で、「千代」にはその神々しい山の写真がある。凄
い山だ。
 山を語る人は少年の瞳の輝きであった。他の方々もやっぱり輝く
瞳をお持ちである。
 次の水曜日にもいらっしゃい、と言っていただき、思えば有難い
水曜日の方々との出会いであった。
 次の水曜日、この最初に話した方が、坪山さんであるのを知った。
篠宮さん、黒さん、としっかり名前を記憶する。

  剱岳へ−−陽光・雨・雪

 魅力ある大人の仲間に入れていただき、六十一年十月、ついに剱
登山の一員となった。
 初日は春のような陽光の中を、次の日は雨が雪にかわり激しい吹
雪となった。初心者の私には恐怖心は全くなかった。

 坪山さん(キャプテン)、坪山さんの奥様(以下伊藤さんと記す)、
宮下さん、松下さん、そして私。
 篠宮さんは別コースだ。
 室堂から剱山荘までは夜汽車の寝不足も何のその、我乍ら驚くほ
ど楽に到着した。
 初めての山小屋泊まりは、昨夜につぎ眠れず、次の日の剱山頂へ
の登山は断念した。体力よりも、山頂から難しいコースを辿ること
と、キャラバンシューズでは無理らしかったからだ。
 その日は宮下さんと剱山荘近くの雪渓を歩いたり、写真を撮った
り、はしゃいで時を過ごし、今夜もまた、ここでのんびりしようと
思っていた。しかし、思いがけず、キャプテン他二名の仲間が
ひょっこり顔を見せ、何でも、天候不順の為、難しいコースへは行
かず戻られたとのこと。そうとわかっていたら、私も頂上まで行き
たかったと残念であった。
 別コースを来られた篠宮さんも、山男の魅力いっぱいで到着、全
員で喜び合った。
 これから真砂沢山荘まで一緒に行こうと言われ、私は少なからず
迷った。宮下さん一人残るのは可哀想(失礼かな)などと考えた為
だが、結局、真砂沢山荘への魅力に負けて出発する。
 宮下さんとは明日、劔御前小屋で会う約束だ。
 雪渓では、初めてのアイゼンをキャプテンにつけてもらった。雪
渓って何て気持ちが良いんだろう!ザクザク、ザクザク。

 途中、雪渓は大きく口を開けている。安全な道を巻いて進むこと
になった。ゴロゴロの岩場有り、梯子有り、丁度良いスリルもあっ
て、伊藤さんとおしゃべりし乍ら歩く。
 真砂沢山荘も、それほどの疲れもなく到着した。
 この夜は仲間五人に他の女性二人が加わって賑やかに酒宴。今夜
こそ酔っぱらって眠ってやろうという魂胆で大酒を飲んだのだが、
部屋はぎっしりの山男達で、足を伸ばせず、寝返りはうてず、また
もや眠れない。他の方々はグースカ高鼾というのに。(このため、
山小屋泊まりはあまり好きではない)
 次の朝はどしゃぶりの雨だ。瞼は腫れて元々たん平な顔が無残だ。
雨具は整っていない。それでも何とか出発した。
 篠宮さんは、他の女性二人を伴って別コースだ。一緒に行ってく
れればいいのに、と少々ヤケル気分。
 途中雨もやみ、伊藤さんは半袖のTシャツになるくらいだったが、
何処の辺りからか雪が降り始めた。まさか積もることはないだろう
と高を括っていたが、やがて吹雪となった。
 剱山荘の辺りに遭難の碑が立っていたが、再びここに立つと身を
もって理解出来る感じだ。雪は膝まで有り、吹雪はピシピシと頬を
打つ。痛い。油断すると身体は横倒しにされそうだ。足をふんばっ
てパンを食べる。
 そうだ、これを食べたらパンはもうないな・・ふと食物の心配をし
たり。
 道標に岩に書かれた印はすっかり雪に消され、我々は雪をはらい
乍ら印を捜して歩く。
「あった!」「こっちだ!」
 時には股まで雪に嵌りながらの戦いだ。
 安物のビニールのズボンなどとっくに吹雪が破ってさらって行っ
た。
 途中、滑落の跡がくっきり残っている。
「宮下さん、大丈夫かなあ」誰彼となく口にする。心配だ。何しろ
彼は大きな荷物を背負っているのだから。
 みんな声かけ合って登って行く。キャプテンは常に大丈夫かと声
をかけて下さる。
 体力は充分有る。何の雪こんな雪! と心の中で言ってみたりし
た。

 どのくらい歩いたか吹雪の中を・・。
「見えた!」伊藤さんの声だ。
「どこに?」「ほらッ」「ほんとだあ!」
 雪に嵌ろうが転びそうになろうが、あとは夢中で登った。
 雪まみれの勇姿四人、感激で声をつまらせながら全員で握手する。
 窓から大きな声がして、月光仮面が手を振っている。宮下さん
だ! 無事だったんだ!
 歓声をあげてみんな駆け寄った。何と、月光仮面は他に四、五人
居る。目が笑っている。
 宮下さんと一緒に我々を心配して待っていて下さったお医者様の
パーティだった。吹雪よけに顔中絆創膏を貼っているとのこと。あ
れは良い考えだと感心する。
 嬉し涙は出るし寒さで鼻水は出るし、ズボンは雪の層をなして
少々ストーブに近づいても溶けないほどだし、凄かったあ・・と感
心してしまった。
 初心者二人を連れていることで、キャプテンの心労は筆致に尽くし
がたいものだったようだ。
 生まれて初めて坐ったまま夜汽車にゆられ初めて山小屋に泊まり、
初めて雪渓を歩き、初めて雪山を歩き、初めてばかりの登山。
 心洗われ、無垢な乙女の気持で下山した。
 思えば有難く懐かしい想い出となった。
 この日々がなければ水曜会の方々とこれほど打ち解けることは出
来なかっただろうと、山の不思議な「力」を感じる。

 その後の二年間、私は何処の山へも行かなかった。その間にどん
どん体力、気力共に落ち、六十三年はめずらしく仕事を休んだりす
る為体となった。病は気からを地でいって、病気ばかり。勿論山へ
の誘いは有ったが、気力がついていかなかった。
 平成と世は移り、少しづつではあるが、気力をとり戻しつつある。
 元気溌剌の平成を生きる為に、挑戦、挑戦をモットーにしたい。
 小さな山へも登ろう。山の霊気を全て自分の「気」にしてやろう
と意気ごんではいる。
 父親ゆずりの酒飲みは、この原稿を書き乍らいつの間にか飲み過
ぎボトルを空にした。
 これだけは気力、体力とは無関係に美味しい。
 また「千代」へ行って、楽しい水曜会の先輩諸兄と山を語ろう。
                        <学校職員>