わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

おちこちの山

南アルプス

    鳳凰三山初山紀行
                        渡部 明美

 「水曜会」、二十数年来の親しい仲間の集りである。たまには曜日
の替わる時もあるが、結局は元の水曜日に戻るようだ。
 メンバーは、男性女性共に山好きが多い。数名は毎年恒例で、長 
年北アルプス剱岳に行く。うらやましいが、私には脚力の自信もな
いし、仕事上の都合で日数も取れない。せいぜい二千米位のハイキ
ングに毛の生えた程度の山しか行っていない。それに単独行が多い
ので、万一の場合を考えて出発点に戻れる所へしか行かぬので、必
然的に行く場所は限られてしまう。それも、ここ五年余り足が遠の
いていた。
 単独行とはいってもそれなりの楽しみは多い。マイペースで歩け
ることで、周囲の状況を満喫できるし、見知らぬ人々との出会いも
たのしい。以前京都の女性グループ四名と同行した機会があったが、
二年後、私のよく行っていた栃木の鬼怒沼山へ来てくれるというの
で一緒に行ったことがある。いまでも季節の挨拶状のやりとりをし
ているが、この方達は例外で、大体は一期一会の出会いである。
 九月の末、水曜会のメンバーの相田氏が単独で南アルプスの鳳凰
三山に行くとの話が出た。「エッ」私は一瞬息をのんだ。六、七年
前から行きたかった山だ。毎年行こう行こうと思っていて実現しな
いでいた山だ。とっさに「一緒に連れていってください」と叫んで
いた。
 私の申出を快諾してくれた相田氏は、十月の土曜、日曜で、私の
スケジュールに合わすとの事。その晩私は、アルコールが入ってい
たのにもかかわらず、なかなか寝つかれなかった
 相田氏との山行きは、十月の七日、八日としてもらった。出発三
日前まで、団地の階段を十四階までの登り降りを何回もして足なら
しをする。数日で二十五、六回もしたであろうか。さして息切れも
しないので、まあまあと思う。
 相田氏はなるべく荷物は制限した方が良いとアドバイスしてくれ
た。あれこれザックに詰込んだが、これはまあ要らんだろう、これ
もまあ要らんだろうで大分軽くする。靴も革より、以前から履きな
れていたキャラバンにした。(あとで大分参りましたが)

   アプローチ

 当日、といっても電車が、七日の零時一分新宿発だから六日の午 
後十時頃家を出発する。甲府着は午前三時、甲府発のバスがでる時
間まで、大分時間つぶしをしなければならないようだ。
 十一時の新宿駅五番線のホームの各乗車口には十数名位ずつの乗
客が並んでいた。色とりどりのザックだけがならんでいる乗車口も
ある。中にはスーツ姿のサラリーマンも酔った顔でチラホラ混じっ
ている。大分遠くから通勤しているのだろう。ご苦労様です。間も
なく相田氏がきた。後ろの方がいくらかすいているとのことで移動
する。
 発車前、会の黒川、篠宮両氏がわざわざ見送りにきてくれた。両
氏とも毎年剱岳に行くベテランである。四名でビールで乾杯。差入
れ品を頂戴し、両氏の見送りで発車する。
 甲府発広河原行きのバスは三時五十分発だが、改札口をでたら、
「夜叉神峠登山口行きの人はバスに乗って下さい」といっている。
時刻表では三時発は広河原直行になっているが、夜叉神峠登山口に
停車するという。季節間の臨時であろうか早速乗り込んだ。四台発
車で、ほぼ満席である。
 山間部にはいると雨が降り出した。いやな予感がするが、山の天
気は気紛れだからと不安を打消す。
 四時半頃夜叉神峠登山口に停車。十数名が降りる。ほとんどの客
が広河原行きだ。登山口の夜叉神の森ロッジには、先客数名が玄関
のひさしの下で雨を避けて仮眠を取っていたが、ロッジの周辺だけ
明るく、ほかは真暗闇である。雨の降るなか夜明けまでの間、とて
も寝てはいられなかった。

  薬師岳へ  

 六時近く、ほのかな明るみがでてくると、三三五五、登山口を登
り始める。相田氏に促されて我々も登山口に向かった。雨はまだ止
まない。相田氏について黙々と歩を進める。
 一時間余りで夜叉神峠小屋に着いた。薬師小屋までは、水場は無
い為、数人の登山客が小屋で水の補給をしていた。晴れていると北
岳がのぞめるという展望も、雨の為何も見えない。紅葉にはまだ早
く、周囲の樹林も今ひとつさえない。初冠雪を過ぎた頃、対面する
赤石連峰は北岳が他の連山を従え、上部を白に、中段を紅葉、下段
が緑と色わけして、三段染めといわれる絶景が望まれるそうだが、
十月の下旬頃が見頃であろう。
 この小屋で友人差入れの品をおかずに、持参のにぎり飯で朝食を
とる。小休止の後出発する。
 小屋から杖立峠までの道は比較的ゆるい登りだが、雨の為に随所
にぬかるみがあった。靴の中にじわじわと水がしみ込んでいくのが
感じられる。先を行く相田氏は、私の小幅歩きに合せてくれ、絶え
ず見える範囲のところを歩いていてくれる。段々と高所になるせい
か、動悸もはやくなり、雨も冷たく感じられてくる。
 夜叉神峠より二時間程で大崖頭山手前の杖立峠に着くが、針葉樹
林帯の中のせいか峠という感じはしなかった。あとはダラダラの登
りが続く。相変わらずの泥道が点在し、靴の中はグショグショの感
じである。
 登山口より六時間余りで樹林の切れめに南御室小屋が見られた。
小さな山小屋である。ザックを入口に置いて、早速中に入り遅い昼
食をとる。ここに泊まる登山者もいるが、薬師岳小屋宿泊の予約も
受付けている。同じ経営なのだろう。相田氏が薬師岳小屋宿泊の予
約をしてくれた。小屋の中央にあるダルマストーブには四名の客が
暖を取り、濡れたタオルやシャツなどを乾かしている。中に割込ま
せてもらったが、ちょっとやそっとでは、離れがたい。とにかく寒
かった。ビニール雨具のせいであろう、背中部分はベスト、肌着、
シャツに至るまで十分に汗がしみ込んでいた。
 休んでいた別のグループの一人が小屋の管理人に「下山のコース
はどこがやさしいでしょうか?」と聞いたところ、管理人は「そん
な事私にはわかりませんよ。自分達で研究して決めなきゃあ」と答
えた。客が出ていった後、また同じような事を言って「ねえ、そう
ですよねえ」と残っている我々に同意を求めた。この言葉にうなづ
いた客は誰もいなかった。家に帰ってから知った事だが、翌日北ア
ルプス立山では、突然の吹雪で熟年初心者ら八名が遭難しているの
だった。ここの管理人も、もう少し親切に対応出来ないものだろう
か。その場で何か釈然としないものを感じた。
 一時間余りの休憩をとった後、薬師岳小屋に向かう。もう少しだ、
と自分に言い聞かせる。小屋の裏から始まる急坂をしばらく登ると、
やがて森林限界から出る。
 さき程までの泥道と違い、花崗岩のザレの道となる。後で地図を
見たが、砂払岳と言うそうだ。なるほど鳳凰三山の入り口らしい名
前ではある。
 まもなく、ハイマツの中に建つ薬師岳小屋に到着。午後四時前、
大分遅れたようだ。所定の時間よりは、一時間余りも遅れているの
ではないだろうか。相田氏に申し訳なく思う。両手の指がシビレた
ような感覚になっている。足の爪先も冷たさを通りこしている。
 ここの小屋は、南御室小屋よりは広く感じられる。小屋の中は大
分混雑していてにぎやかなものだ。一番奥の角に場所をとる。ここ
もやはりストーブの前に四、五名が暖をとっていた。暖をとるとい
うより濡れた物を乾かしている。私も靴下をストーブの上に吊り下
げておく。明朝までには乾くだろう。ついでにシューズもストーブ
の前方に割込ませてもらった。夕食まで大分時間があるので、湿っ
た衣類のままで毛布をかぶったが、濡れた靴下の爪先が非常に冷た
い。疲れたせいか、回りの賑やかさをよそに、いつのまにか寝入っ
てしまった。
 小一時間も眠ったのであろうか、爪先の冷たさで目がさめた。相
田氏がウイスキーをすすめてくれたが、夕食前の事でもあるのでご
辞退する。さすがベテランの余裕。
 山小屋の食事はご他聞にもれず粗末なものだが、やはりこういう
時の味噌汁はうまい。ぼそぼその御飯は少し残してしまったが、味
噌汁はお代わりをしてしまった。戻って靴下の乾き具合を見たが、
干す前とあまり変わっていない。スペアーに持ってきた靴下もザッ
クの中で湿ってしまったのだから、乾いてくれないとこまる。網袋
の中に入れてきたのがまずかった。相田氏はビニール袋の方が良い
と言ってくれた。初心者は赤面することばかりである。靴下の乾き
と、明日の天気を願いつつ毛布にもぐりこんだが、またいつの間に」
か眠りにはいっていた。

  目的地へ
 
 翌朝、薄明の中で目がさめた。ランプは消えているし、ストーブ
もついていない。しかし小屋に中はさして寒くもない。むしろ窓が
大分結露しているので、小屋の中は暖かいのだろう。周囲は身支度
をする人々で、ざわざわと騒がしくなってきている。はいたままの
靴下は大して乾いていないので、昨日干した靴下を取りにいってが
くぜんとした。まるっきり乾いていないのだ。前夜消灯が早く、ス
トーブも同時に消したのだろう。もうあきらめた。はいたまま乾く
のを待つより仕方あるまい。
 小屋を出てみると、空はピーカンだ。おもわず顔がほころびてく
るのが自分でもわかる。小屋での簡単な朝食をとり、身支度にとり
かかる。昨日は雨にたたられ、写真は数枚しか撮れなかったが、今
日はこの天気で沢山撮れるだろう。
 薬師岳小屋から薬師岳まではすぐだ。これからたどる稜線は、地
蔵岳方面へ見渡す限り花崗岩のザレと緑のハイマツで続く。まさに
白砂青松。目をうばわれる光景である。同じ白砂青松でも海岸に見
られるものとは、ひと味もふた味もちがう。巨大な岩石がそれらを
引立たせているせいであろう。加えて、周囲は広大な見渡すかぎり
の雲海である。雲海の彼方には八ヶ岳が薄墨色に浮かんでいる。時
を忘れるような風景だ。 早朝、静岡側に見えていたという富士は
我々がきた時には、もう雲間に隠れてしまっていてみえない。これ
で富士も見えていたらどんなものであったろう。先へ急ごう。早く
あの地蔵岳のオベリスクの下に行ってみたい。
 黒く風化した花崗岩につけてある赤いペンキの印に従って歩を進
める。花崗岩のザレの下は霜柱だ。ザクザクと音を立てて進むが、
乾いていない靴下の中は昨日よりもつめたい。途中、岩蔭に真紅の
葉の群落が点々とつづく。なんとも言えない紅色だ。ハイマツは西
からの強風で異様にねじり傾き、枝先にのみ緑を止どめ、まるでオ
ブジェでも見ているような気がする。
 観音岳を越え、左手にみる北岳の展望も素晴らしい。この初秋、
北岳に登った相田氏に、色々説明を聞く。所々にはまだ雪渓がの
こっている。もうすぐ賽ノ河原に着く頃だ。左は崩落だろうか、白
くザレた急斜面だ。体がなんとなく右に寄るような気がする。ひと
つ峰を越し、地蔵岳賽ノ河原に着く。異様な光景が広がる。白いザ
レが開けた場所に広がり、小さい石の地蔵仏が数十体も安置してあ
る。それぞれに小銭や水などが供えられてある。相田氏はまるで恐
山のようだと言う。
 一時的にガスが吹いてくるが、合間あいまに甲斐駒ヶ岳が偉容を
見せてくれる。相田氏が「これから甲斐駒を回って行きましょう
か」といった一瞬、ギョッとしたが、勿論冗談でしょう。単独行
だったら行っていたかも知れない。申し訳ない。
 賽ノ河原にザックを置き、身軽になって地蔵岳へ向かう。疲れも
飛んでいってしまったようだ。近くで見る地蔵岳は圧倒的である。
頂上の抱合った二個の巨大な岩を取囲む如く、巨石郡が下方に裾野
を作って、二十米位の高さで屹立している。まるで山頂より飛出し
てきたような印象だ。
 このオベリスクの頂上に初めてよじ登ったのは、かのウエストン
で1904年の夏のことだ。深田久弥も登ったが、彼の本によると、
このオベリスクは、古来、大日如来に擬せられて尊ばれたところか
ら、法王山の名で呼ばれ、後に地蔵信仰が盛んになって、その岩石
の形から地蔵岳と呼ばれるようになったと言われる。
 このオベリスクの頂きへは、私の見ていた時間だけでも三人は
登っていた。後で登ったというアベックの話では、ワイヤーが付け
てあったので、割合い苦労しないで登れたとのことであった。私は
三分の一位まで、相田氏は三分の二位まででした。私の場合これで
我慢した。

  下山へ

 下山コースは四通りある。登ってきたルート、ドンドコ沢から青
木鉱泉、燕頭山から御座石鉱泉、白鳳峠から広河原へのコースだ。
相田氏が、ドンドコ沢からといったが、下りは必ず膝をやられる、
と書いてあるのをみてやめていただいた。結局、白鳳峠からのコー
スにする。
 この頃から雲が出はじめ、途中でまた、カッパを着るはめになっ
てしまった。白鳳峠で昼食をとる。持参の弁当は、まだ大分残って
いて食べ切れそうにない。少し休んで下り始めたが、これからが思
いのほかきつかった。
 下りに注意することはよく知っているつもりだし、今まで入った
山でも十分気をつけて、膝が笑った経験をしたことはなかったが、
今回は完全にやられてしまった。なんともみっともなく、恥ずかし
かったし、相田氏にも大変迷惑をかけてしまった。膝が笑うなど通
り越して、たまにある平らな道になると、まるで酔払いの千鳥足の
ようになってしまったのだ。
 出発前、缶ビールを一本飲んだだけだったので、広河原に降りた
ら自動販売機もあるだろうから、先ず缶チュウハイをと思っていた
ので、最後の二時間の下りは「缶チュウハイ、缶チュウハイ」とつ
ぶやきながら足を運んだ。まさに足が荷物のようで、運ぶと言う言
葉が適切であった。
 時折、木立をすかして下方にスーパー林道が見えかくれする。も
う少しだ。河原の水音が段々と高く聞こえてくる。相田氏に感謝し
ながら必死に足を運んだ。
 やっとスーパー林道に降り立った。いや、立たずにしゃがんでし
まった、が正解だ。バス発着場までのアスファルトの道路は膝をガ
クガクさせながらも、不思議になんとか歩けた。広河原に着き、待
望のカンチューハイを飲んだが、うまかった。
 こんな辛い思いをしたが、上でのあの展望は、目に焼付いて離れ
ない。来年もここに来る。絶対に来る。

  反 省

 自分では十分やったつもりのウォーミングアップが、まだまだで
あった。
 雨具で汗が籠もってしまった。通気性の良い雨具や、その他の装
備を買い揃えよう。
 人に迷惑をかけないスケジュールで行こう。
                        <会社員>